横光利一 『旅愁』 「もうすぐ巴里祭ですが、あそこの無名戦士の…

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青空文庫図書カード: 横光利一 『旅愁』

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「もうすぐパリ祭だけど、あそこの無名戦士の墓の奪い合いをめぐって、左翼と右翼の衝突がもう今のうちから起きてるんですよ。その日になったら、ここでそれが爆発すると人々は言うんですけどね。ここは王様のないところだから、争いが絶えないんです」
「今からそれが分かってるのに、どうして防げないのかしら」
「それはここのは、戦死した無名戦士が王様みたいなものだからでしょう。だから墓が何も言わないのをいいことに、右翼は「われわれ伝統の勇士の墓だ」と言って、これを自分のものとしようとするんです。そこを左翼は「いや、これこそわれわれ民衆の勇士の墓だ。これこそわれわれのものだ」と主張する。ところが、今度だけは政府が左翼だからいつものようにはいかなくて、左翼を守らなきゃならない。そうなると、右翼の伝統派はいつもより結束するだけでなく、「こうなればもう伝統のために死ね」と言って、必死の抵抗になって来るから、爆発が一層大きくなるというわけです」
「じゃあ、どちらの言うこともそんなに本当らしく聞こえちゃうから、みんな迷うのも当然ね。そんなに大切なことで迷っちゃ、この国の人はどうするつもりかしら」
「そこがどうするわけにもいかないんだな。なんと言っても、生活する頭の原点が墓なんだから、それならこれは死んだ動かぬ点だろう。つまり完全な無だ。ところが、王様のある国はその原点が生きている有の一点だから、つまり生命です。生活の原点が無く有とじゃ、そこを中心にして動いている人間の頭がまるで違っていくわけですよ。たとえ同じように見えたにしたって、あるものとないものとじゃ、やっぱり違う」
「じゃあ、日本とこちらは全部違うのかしら」
「それや同じところもありますよ。だけども、中心を墓という無にしたものなら、それは人間というものは、みな墓だと思い込んだ人の無の頭の中だけで、幾何学をやっているようなものですよ。つまりそれは科学でしょう、そのような科学の中でなら、これなら同じだ。しかし、僕らはなんと言っても生きてるんだから、生きてる意味というものは、人をみな墓だとみて幾何学をやることなのか、それとも生きているから、むくむくと動いてやまぬ愛情が必要に決まっているんだから、それを互いに何とか清らかなものにしたいと思おうとする努力にあるのか、というような問題が、いろいろ形を変えて現れているんだと思います。そこが分からないものだから、左翼と右翼も人の分からないそこのところにつけ込んで、まことしやかな理屈で世の中の生きてる頭の引っ張り合いをするんだな。日本の知識階級のものにしても、自分を死んだ墓だと思い込む方法を西洋から教え込まれて来たものだから、人間のいない世界でしか完全に立派なもの以外に信用しない癖を、だんだん植えつけられて来てるんですね。つまり科学以外信用しない。それとはまた別に、その死んだ世界でこそ美しいものを、生きている世界にまで全部当てはめなきゃ承知しないのが、これがなかなかたいへんな勢いなんです」
「それ久慈さんのことなんでしょう」
「そうそう、久慈もそれです。それで僕はあの男と絶えず喧嘩だ。久慈の言うような、誰から見ても立派に見える言葉ばかり人に押しつけて言っていちゃ、人は興奮して立派にみんな死んでしまう。殺したければ殺せと、このごろは面倒くさくなったから、あまり喧嘩もしませんが、しかし、そうも言っておられんからな、まだまだ喧嘩だ」
「あれお墓なのね、私、ちっとも知らなかったわ」
「あれはここの生活の墓ですよ。無だ。あの無というお墓から、放射状に大通りが8方へ通っているでしょう。僕らはその一つのここにいるんですが、しかし、ここにこうして生きて話してる。ところが、生きていながら朝からコーヒー一杯も飲まされないというのは、これや無茶だ」
「くッ」
「この通りがお墓の無から出てるから、お茶なしでもないだろうが、しかし、日本の通りはお墓の無と有とが重なった一点から出てるから、どんなになったって、飯が食べられないということは絶対にない。御飯が食べられないより食べられる方が有り難いに決まってるんだけれども、それを馬鹿にするものが日増しに多くなって来てるんです。そんなら、つまりお墓に吸い寄せられて行ってるのだ。おまけに、さあ急げと号令をかける男まで出て来てるから、お墓詣りに、血を流す」
「ちょっと、それはここのお墓のことなの、日本の?どっちですか」
「ここのお墓だ」
「日本には墓参りに行ってお墓詣りに血を流したものなんかいやしない。流さないためにお墓詣りに行くんだが、ここのは血を流すためのお墓詣りみたいなものだ」
「どうして僕はここへ来ると、こんなにお国自慢がしたくなるんだろ。少し慎まなきゃいけないかな」

原文 (会話文抽出)

「もうすぐ巴里祭ですが、あそこの無名戦士の墓の奪い合いで、左翼と右翼の衝突がもう今のうちから起っているんですよ。その日になったら、ここでそれが爆発すると人人はいうのですがね。ここは王さまの無いところだから、喧嘩をすればきりがない。」
「今からそれが分っていて、どうして防げないのかしら。」
「それはここのは、戦死した無名戦士が王さまみたいなもんでしよう。だから墓が物を云わないのを良いことにして、右翼はわれわれ伝統の勇士の墓というので、これを自分のものとしようとするのでしょう。そこを左翼は、いやこれこそわれわれ民衆の勇士の墓だ。これこそわれわれのものだと主張する。ところが、今度だけは政府が左翼だからいつものようにはゆかんので、左翼を守らなくちゃならない。そうなると、右翼の伝統派はいつもより結束するだけじゃなくって、こうなればもう伝統のために死ねというので、必死の反抗になって来るから、爆発が一層大きくなるというわけです。」
「じゃ、どちらの云うこともそんなに本当に見えちゃ、みな迷うのももっともね。そんなに大切なことに迷っちゃ、この国の人たちどうするつもりかしら。」
「そこがどうするわけにもいかんのだな。何んといっても、生活する頭の原点が墓なんだから、それならこれは死んだ動かぬ点でしよう。つまり完全な無だ。ところが、王さまのある国はその原点が生きた有の一点だから、つまり生命です。生活の原点が無と有とじゃ、そこを中心にして動いている人間の頭がまるで違っていくわけですよ。たとい同じように見えたにしたって、有るものと無いものとじゃ、やはり違う。」
「じゃ、日本とこちらは皆ちがうのかしら。」
「それや同じ所もありますよ。だけども、中心を墓という無にしたものなら、それは人間というものは、みな墓だと思い込んだ人の無の頭の中だけで、幾何学をやっているようなものですよ。つまりそれは科学でしょう、そのような科学の中でなら、これなら同じだ。しかし、僕らは何んと云っても生きているんだから、生きてる意義というものは、人をみな墓だとみて幾何学をやることか、あるいは生きているからは、むくむくと動いてやまぬ愛情が必要に定っているんだから、それを互に何とか清純なものにしたいと希う努力にあるのか、という風な問題が、いろいろ形を変えて顕れているんだと僕は思うんです。そこが分らんものだから、左翼と右翼も人の分らぬそこのところにつけ込んで、まことしやかな理窟で世の中の生きてる頭の引っ張り合いをするんだな。日本の知識階級のものにしても、自分を死んだ墓だと思い込む方法を西洋から教え込まれて来たものだから、人間のいない世界でだけ完全に立派なもの以外に信用しない癖を、だんだん植えつけられて来てるんですね。つまり科学より信用しない。それとはまた別に、その死んだ世界でこそ美しいものを、生きてる世界にまで全部あて嵌めねば承知をしないのが、これがなかなかたいへんな勢いなんです。」
「それ久慈さんのことなんでしょう。」
「そうそう、久慈もそれです。それで僕はあの男と絶えず喧嘩だ。久慈の云うような、誰から見たって立派に見える言葉ばかり人に押しつけて云っていちゃ、人は興奮して立派にみな死んでしまう。殺したけれや殺せと、このごろは面倒臭くなったから、あまり喧嘩もしませんが、しかし、そうも云っておられんからな、まだまだ喧嘩だ。」
「あれお墓なのね、あたし、ちっとも知らなかったわ。」
「あれはここの生活の墓ですよ。無だ。あの無というお墓から、放射状に大通りが八方へ通っているでしょう。僕らはその一つのここにいるんですが、しかし、ここにこうして生きて話してる。ところが、生きていながら朝からコーヒー一杯も飲まされないというのは、これや無茶だ。」
「くッ。」
「この通りがお墓の無から出てるから、お茶なしでもないだろうが、しかし、日本の通りはお墓の無と有とが重なった一点から出てるから、どんなになったって、飯が食べられぬということは絶対にない。御飯が食べられないより食べられる方が有り難いに定ってるんだけれども、それを馬鹿にするものが日増しに多くなって来てるんです。そんなら、つまりお墓へ吸いよせられて行ってるのだ。おまけに、さア急げと号令かける男まで出て来てるから、お墓詣りに、血を流す。」
「ちょっと、それはここのお墓のことなの、日本の? どちらですの。」
「ここのお墓だ。」
「日本にはお墓詣りに血を流したものなんかいやしない。流さぬためにお墓詣りに行くんだが、ここのは血を流すためのお墓詣りみたいなものだ。」
「どうして僕はここへ来ると、こんなにお国自慢がしたくなるんだろ。少し慎しまなきアいけないかな。」

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