森鴎外 『伊沢蘭軒』 「御病気いかが。死なぬ病と承候故、念慮にも…

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青空文庫図書カード: 森鴎外 『伊沢蘭軒』

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「ご病気はいかがですか。死にそうな病気ではないと聞いていたので、それほど心配していなかったのですが。今はすっかりお元気と伺いました」
「中秋は14日から雨が降り、15日の夜9時過ぎには雨がやみましたが、月を見ることはできませんでした。16日は快晴です。しかし中秋半夜の後、松永尾道は清光無翳のようだということです。松永はわずか4里ほどの所です。それほど違っているのはなぜでしょう。蘇子由は『中秋万里同陰晴』などと詠みました。昔から試してみたことがありません。堺の秋は(お聞きしたところ周防長門は清光だったそうです)松永とは4里しか離れていないのに、ずいぶん違いがあるようです。(その後聞いたところによると、半夜からは清光には違わなかったということです。不思議です。)海東2000里も離れていると、やはり異なるものだと存じます。ご賞詠はどうでしたか。力作などお聞かせいただければと思います」
「木王園の主人とは時々ご一緒に遊ばれていますか。石田巳之介さんや蠣崎君などはいかがですか。お会いになりましたら宜しくお伝えください」
「特に書き留めておきましょう」
「津軽屋はいかがですか。春からご不快だとお聞きしました。これも死にそうな病気ではないのでしょうね。いずれにしても宜しくお伝えください。市野翁はどうですか」
「去年申し上げた塙書のことですが、重要なことです。できればお帰りになるときに、2、3巻ずつ4、5人の方に託していただければ確実に届くと思います。ぜひよろしくお願いいたします」
「長崎の徳見茂四郎さんに西湖の柳を約束しました。必ず間違いなく届くように、それにも増してお声かけいただければと思います」
「この辺りは何ら変わりありません。あぶらや本介も同様です。久しぶりにお目にかかっていないですね。福山辺から長崎に行った連中も皆無事です。その中の保平という者が亡くなったのは残念です。玄間は医者に なり、威勢が盛んです。私どもの養介は2年間病気で、去年やっと立ち上がれるようになり、豊後へ湯治に行きましたが、道中で落馬して、かろうじて生還しました。このままでは志を果たせないと思い、医者にになると言っています」
「私どもの方では頼久太郎という者に、お寺の跡取りというかそういうようなものを、養子でもないのに引き取らせました。文章は下手です。人柄は千蔵がよく存じています。年がもう31になり、少し時代遅れの男ですが、20歳前後の人のようです。早く年を取ってくれるといいのですが。頼む次第です」
「庄兵衛も店を出して油紙などを売っています。妻を迎え、子供もできました。堺でも会ったのですが、辞安様はいかがですかと聞いていました」
「詩を木版にしませんかと書物屋に頼まれたので、亡くなった※の弟が集めたものなど1巻あまりあるので、これを添えてもらおうと言ったところ、その通りに添えてもらうと言ったので、版にするつもりでおります。幽霊は暗闇に置いておくべきもので、明かりに出したら醜態をさらして笑われる元になると思います。お金は1文もいらない、本の仕立ては望み次第だと言うので許しました。他にもお話ししたいことがたくさんありますが、これで書き止めておきます。恐惶謹言。8月28日 菅太中晋帥。伊沢辞安様」
「まちまちしき秋の半ばも杉の門を暗い空に山風が吹く。これは古い詩です。このごろのことなので書きました」

原文 (会話文抽出)

「御病気いかが。死なぬ病と承候故、念慮にも不掛と申程に御座候ひき。今比は御全快奉察候。」
「中秋は十四日より雨ふり、十五日夜九つ過には雨やみ候へども、月の顔は見えず、十六日は快晴也。然るに中秋半夜の後松永尾道は清光無翳と申程に候よし。松永は纔四里許の所也。さほどの違はいかなる事にや。蘇子由は中秋万里同陰晴など申候。むかしより試もいたさぬ物に候。堺秋(承候処周防長門清光)松永四里之処にては余り之違に御座候。(其後承候に半夜より清光には違なし。奇と云べし。)海東二千里定而又かはり候事と奉存候。御賞詠いかゞ、高作等承度候。」
「木王園主人時々御陪遊被成候哉。石田巳之介蠣崎君などいかが、御出会被成候はば宜奉願上候。」
「特筆。」
「津軽屋如何。春来は不快とやら承候。これも死なぬ疾にもや候覧。何様宜奉願上候。市野翁いかが。」
「去年申上候塙書之事大事之事也。ねがはくは御帰城之便に二三巻宛四五人へ御託し被下候慥に届可申候。必々奉願上候。」
「長崎徳見茂四郎西湖之柳を約束いたし候。必々無間違贈候様、それよりも御声がかり奉願上候。」
「此辺なにもかはりなく候。あぶらや本介も同様也。久しく逢不申候。福山辺長崎へ参候輩も皆々無事也。其うち保平と申は悼亡のいたみ御座候。玄間は御医者になり威焔赫々。私方養介も二年煩ひ、去年漸起立、豊後へ入湯道中にて落馬、やうやく生て還候。かくては志も不遂、医になると申候。」
「私方へ頼久太郎と申を、寺の後住と申やうなるもの、養子にてもなしに引うけ候。文章は無※也。為人は千蔵よく存ゐ申候。年すでに三十一、すこし流行におくれたをのこ、廿前後の人の様に候。はやく年よれかしと奉存候事に候。」
「庄兵衛も店を出し油かみなどうり候。妻をむかへ子も出来申候。堺も逢候へば辞安様はいかがと申ゐ候。」
「詩を板にさせぬかと書物屋乞候故、亡※弟が集一巻あまりあり、これをそへてほらばほらせんと申候所、いかにもそへてほらんと申候故、ほらせ候積に御座候。幽霊はくらがりにおかねばならぬもの、あかりへ出したらば醜態呈露一笑の資と存候。銭一文もいらず本仕立は望次第と申候故許し候。さても可申上こと多し。これにて書とどめ申候。恐惶謹言。八月廿八日菅太中晋帥。伊沢辞安様。」
「まちまちし秋の半も杉の門をぐらきそらに山風ぞふく。これは旧作也。此比の事ゆゑ書候。」

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