GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 芥川龍之介 『あの頃の自分の事』
現代語化
「知らない。知ってるのは隣の金と皮と骨と白粉だけだ」
「金と皮と――何だよ、それ」
「何でもいーよ。とにかく、後におった女の人じゃないことは確かだ。それで君はまたその女の人に惚れでもしたのかい」
「惚れるどころか、俺も知らなかった」
「なんだ、つまんねーな。そんなやつなら、いたってなくても、同じこったじゃねえか」
「ところがね。家に帰ったら母ちゃんが後の女の人を見たかって言うんだ。つまりその人が俺の嫁候補だったらしいんだ」
「じゃ見合いなのか」
「見合いほどまだ進んでないんだろ」
「だって見るって言うんなら、見合いじゃねえか。君の母ちゃんもまた、回りくどいな。見せるつもりなら、前に座らせりゃいいのに。後にいるものが見えるくらいなら、こんな20円の弁当なんて食ってやしない」
「でも向こうの女の人からしたら、俺たちが前にいたことになるからな」
「なるほど、あそこじゃどっちかで向かい合おうと思ったら、どっちかが舞台に上がらなきゃならねえわけだ。――わけだが、それで君はなんて答えたんだい」
「見てないって答えたよ。実際見てなかったんだから仕方ないじゃないか」
「そう今になって、俺に腹を割いてもダメだよ。でももったいないことしたな。だってあれは音楽会だったから、ダメなんだ。芝居なら俺が頼まれなくても、帝劇中の観客をみんな物色してやるのに」
原文 (会話文抽出)
「君は昨夜僕等の後にゐた女の人を知つてゐるかい。」
「知らない。知つてゐるのは隣の金と皮と骨と白粉とだけだ。」
「金と皮と――何だい、それは。」
「何でも好い。兎に角、後にゐた女の人ぢやない事は確だ。さうして君は又その女の人に惚れでもしたのかい。」
「惚れる所か、僕も知らなかつたんだ。」
「何だ、つまらない。そんな人間なら、ゐたつてゐなくたつて、同じ事ぢやないか。」
「所がね。家に帰つたらムツタアが後の女の人を見たかと云ふんだ。つまりその人が僕の細君の候補者だつたんださうだね。」
「ぢや見合ひか。」
「見合ひ程まだ進歩したものぢやないんだらう。」
「だつて見たかつて云へば、見合ひぢやないか。君のムツタアも亦、迂遠だな。見せる心算なら、前へ坐らせりや好いのに。後にゐるものが見える位なら、こんな二十銭の弁当なんぞ食つてゐやしない。」
「しかし向うの女の人を本位にして云へば、僕等が前にゐた事になるんだからな。」
「成程、あすこぢや両方で向ひ合つてゐようと思つたら、どつちか一方が舞台へ上らなくつちやならない訳だ。――訳だが、それで君は何つて返事をしたんだい。」
「見なかつたつて云つたあね。実際見なかつたんだから仕方がないぢやないか。」
「さう今になつて、僕に欝憤を洩したつて駄目だよ。だが惜しい事をしたな。一体あれは音楽会だつたから、いけないんだ。芝居なら僕が頼まれなくつたつて、帝劇中の見物をのこらず物色をしてやるんだのに。」