中里介山 『大菩薩峠』 「左の乳の下……かわいそうに、罪もない村の…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 中里介山 『大菩薩峠』

現代語化

「左の胸の下……かわいそうに、罪のない村の娘さんの左の胸の下を抉って殺して、お濠に投げ込んだのはあなたでしょう?なぜあなたは、そんなことをしたんですか?そんなことをしなければいけなかったのはどうしてですか?そうしておいて帰ってきて、私にこの帳面を書かせようとは、それはどういうつもりですか?」
「そんなことは今に始まったことじゃない」
「甲府にいたとき噂にも聞いたでしょう?夜な夜な辻斬りをして街を騒がせたのは、みんな私の仕業だよ」
「え?あなたがあの辻斬りの本人ですか?」
「それを今知って驚いても遅いよ。昨夜はまた急にその欲求が湧いてきて、どうにも我慢できなくて、ついあんなことをしちゃったんだ」
「ああ、なんて恐ろしいこと。人を殺したいっていうのは病気なんですか?」
「病気じゃない。それが私の仕事なんだ。今までしてきたことも、これからすることも、人を斬る以外に私の仕事はない。人を殺す以外に楽しみも、生きがいもないんだ」
「私には何と言っていいのかわかりません。あなたは人間じゃない」
「元々人間らしい心なんて持ってないよ。人間なんてウヨウヨ生きてるけど、何一つ成し遂げる奴なんていない」
「あなたはそんなに人間が嫌いなんですか?」
「ばかなこと言うな。嫌いっていうのは、相手がある程度まともだから言うんだ。嫌いな奴なんて何人殺しても、責められるようなやつじゃない」
「本当ですか?そういうことを本気で言ってるんですか?」
「もちろん本気だ。世の中には地位が欲しくて生きてる奴がいる。金が欲しいから生きてる奴がいる。俺は人を斬りたいから生きてる」
「ああ、神も仏もない世の中。それで生きていけるんですかね……」
「神や仏がいるかどうかなんて知らないよ。ちょっと雨降っただけで何百人何千人も死んでいくようなのが人間の命だ。疫病神が出てきて指揮棒を振れば、何万人って役に立たない命が集まるじゃないか。俺はこれから一人ずつ斬っていったって、大したことじゃないよ」
「ああ恐ろしい」
「本当に恐ろしいと思うなら、今すぐここから消えろ」
「でも、こうなってしまった以上は……」
「こうなってしまった以上は仕方がない。お前は黙って俺のすることを見てろ」
「ああ、だったら私はあなたにここで殺されてしまいたい」
「いつかそういう時が来るかもしれない。その帳面の最後の一行にお前の名前を書いて、歳は入れない」
「ああ、私は地獄に引きずり込まれるんです」
「地獄の道連れが嫌か?」
「嫌だと言っても嫌じゃないと言っても、こうなってしまったら仕方がありません。私はどうしたらいいんですか?」
「どうしようもない。甲州は狭いから、とにかくこれから江戸に行くんだ。おそらくお前は一生、俺の世話をすることになるだろう」
「私は怖くてたまりません。でもどうしたらいいのかわかりません。それでも私はあなたから離れたくありません」
「黙って俺のすることを見てろ」
「黙って見てるなんてできません。私もあなたと一緒にいる限り、あなたみたいに悪い人間になるしか、生きられません」

原文 (会話文抽出)

「左の乳の下……かわいそうに、罪もない村の娘さんの左の乳の下を抉って殺して、お濠とやらへ投げ込んだのはあなたでございましょう、ナゼあなたは、そのようなことをなさいました、そのようなことをしなければならないというのはどうしたわけでございます、そうしておいて帰って来て、わたしにこの帳面を書かせようとは、そりゃまあ何という仕様でございます」
「それは今に始まったことではない」
「甲府にいたとき噂にも聞いたろうが、夜な夜な辻斬をして市中を騒がせたのは、みんな拙者の仕業じゃ」
「エエ! あなたがあの辻斬の本人?」
「それをいま知って驚いたからとて遅い、昨夜はまたむらむらとその病が起って、居ても立ってもおられぬから、ついあんなことをしでかした」
「ああ、なんという怖ろしいこと、人を殺したいが病とは」
「病ではない、それが拙者の仕事じゃ、今までの仕事もそれ、これからの仕事もそれ、人を斬ってみるよりほかにおれの仕事はない、人を殺すよりほかに楽しみもない、生甲斐もないのだ」
「わたしはなんと言ってよいかわかりませぬ、あなたは人間ではありませぬ」
「もとより人間の心ではない、人間というやつがこうしてウヨウヨ生きてはいるけれど、何一つしでかす奴等ではない」
「あなたはそれほど人間が憎いのですか」
「ばかなこと、憎いというのは、いくらか見どころがあるからじゃ、憎むにも足らぬ奴、何人斬ったからとて、殺したからとて、咎にも罪にもなる代物ではないのだ」
「本気でそういうことをおっしゃるのでございますか」
「もちろん本気、世間には位を欲しがって生きている奴がある、金を貯めたいから生きている奴がある、おれは人が斬りたいから生きているのだ」
「ああ、神も仏もない世の中、それで生きて行かれるならば……」
「神や仏、そんなものが有るか無いか、拙者は知らん、ちょっと水が出たからとて百人千人はブン流されるほどの人の命じゃ、疫病神が出て采配を一つ振れば、五万十万の要らない命が直ぐにそこへ集まるではないか、これからの拙者が一日に一人ずつ斬ってみたからとて知れたものじゃ」
「おお怖ろしい」
「真実、それが怖ろしければ、いまのうちにここを去るがよい」
「それでも、こうなった上は……」
「こうなった上はぜひがないと知ったならば、お前は、拙者のすることを黙って見ているがよい」
「ああ、わたしはいっそ、あなたにここで殺されてしまいたい」
「いつかそういう時もあろう、その帳面のいちばん終いへ、お前の名を書いて歳を入れずにおくがよい」
「ああ、わたしは地獄へ引き落されて行くのでございます」
「地獄の道づれがいやか」
「否と言っても応と言っても、こうなったからは仕方がございませぬ、わたしはどうしたらようございましょう」
「なんと言っても甲州の天地は狭いから、ともかくもこれから江戸へ行くのじゃ、おそらくお前は生涯、拙者の面倒を見なければなるまい」
「わたしは怖ろしくてたまりません、けれどもどうしてよいかわかりません、それでもわたしはあなたと離れようとは思いません」
「黙って拙者のすることを見ていてくれ」
「黙って見てはいられません、わたしもあなたと一緒に生きている間は、あなたのような悪人にならなければ、生きてはおられませぬ」


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