GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 芥川龍之介 『俊寛』
現代語化
「じゃ、都の噂通り、松浦の佐用姫みたいに、お別れが名残惜しかったんですか?」
「2年間も一緒に話してきた仲間と別れるんだ。名残惜しいのは当たり前じゃないか? でも何度も手を振ったのは、名残惜しかっただけじゃないんだ。――あの時俺のところに、船が入ったのを知らせたのは、この島にいる琉球人なんだよ。それが浜辺から飛んで来て、『船々』って言った。船はわかったけど、どんな船が入ってきたのか、他の言葉はさっぱりわからなかった。あいつもうろたえて、日本語と琉球語をごちゃ混ぜでしゃべってたんだろうよ。俺も船っていうから、とりあえず浜辺に出てみたんだ。すると浜辺にはいつのまにか、島の人が大勢集まってる。その上に見える高い帆柱の船が、言うまでもなく迎えの船だ。俺もその船を見た時は、さすがに心が躍ったよ。成経や康頼は俺より先に、もう船の側に駆けつけてたけど、この喜びようも尋常じゃない。あの琉球人なんて、二人とも毒蛇に噛まれて気が狂ったのかと思ったくらいだよ。そのうち六波羅から使者として来た、丹左衛門尉基安って人が、成経に赦免状を渡した。でも成経が読んでみると、俺の名前が入ってない。俺だけは赦免されないんだ。――そう思った俺の心の中には、ほんの一瞬だったけど、いろいろが思い浮かんだ。姫や若の顔、女房の罵る声、京極の館の庭の景色、インドの早利即利兄弟、中国の一行阿闍梨、日本の実方、――全部数えてられないくらい。ただ今でも可笑しいのは、その中にふと荷車を引いた、赤い牛の尻が見えたことなんだよ。でも俺は必死に、平気なフリをしてた。もちろん成経や康頼は、気の毒そうに俺を慰めてたり、俊寛もいっしょに乗せてくれって、使いにも頼んでたみたいだけど。でも赦免状が出てない者は、何をどうやっても船には乗れない。俺は心を落ち着かせて、なぜ俺一人だけ赦免されなかったのか、その理由をいろいろ考えた。高倉天皇は俺を憎んでる。――それは確かに間違いない。でも高倉天皇は憎んでるだけでなく、内心俺のことを恐れてる。俺は前の法勝寺の執行だ。兵法なんて知らないはずがない。でもこの世の中は意外にも、俺の意見に賛成してくれるかもしれない。――高倉天皇はそこを恐れてるんだろう。俺はそう考えたら、少し笑ってしまったよ。比叡山や源氏の武士たちに、都合のいい言い訳を作るのは、西光法師みたいな奴らがやることだ。俺が今さら取るに足らない平家のために、頭を悩ませるなんてバカげてるよ。さっきもお前に言った通り、天下は誰でも取っていればいい。俺にはお経があれば、鶴の前がいればそれで満足なんだよ。でも浄海入道は、学問も徳もないばかだから、俊寛のことまで腹立たしく思ってるんだろうよ。そうなると首を切られる代わりに、この島に一人残されるのは、まだ幸運なのかもしれない。――そんなことを考えてるうちに、いよいよ出港って時になったんだ。すると成経の妻になった女が、赤ん坊を抱いたまま、どうかその船に乗せてくれって言う。俺はかわいそうになったから、女を咎める必要もないだろうと思って、使いの基安に頼んでやった。でも、基安は相手にしない。あいつは当然のことながら自分の仕事以外のことは、何も知らない棒切れみたいな人間だ。俺もあいつを咎める気にはならない。ただ罪深いのは成経だよ。――」
「あの女は気が狂ったみたいに、とにかく船に乗ろうとする。船乗りたちは乗せまいとする。とうとう最後にあの女は、成経の直垂の裾を掴んだ。すると成経は青い顔をしたまま、意地悪くその手を振り払ったんです! 女は浜辺に倒れたけど、それっきり二度と乗ろうともしない。ただ泣き続けるだけでした。俺はその一瞬、康頼にも負けないくらい腹が立ったよ。成経は人間じゃない。康頼も見てるだけなんて、仏教徒のすることじゃない。おまけにあの女を乗せることは、俺のほかに誰も頼まなかった。――俺はそう思うと、今でも不思議なくらい、ありとあらゆる悪口雑言が、口から飛び出した。でも俺が言った言葉は、都っ子みたいな悪口じゃないよ。8万4千ものお経の中にある悪鬼羅刹の名前ばかりを、矢継ぎ早に並べたんだ。でも、船はどんどん遠ざかっていく。あの女はまだ泣き崩れたままだった。俺は浜辺で足踏みしながら、『返せ、返せ』って手を振った」
原文 (会話文抽出)
「それは満更嘘ではない。何度もおれは手招ぎをした。」
「では都の噂通り、あの松浦の佐用姫のように、御別れを御惜しみなすったのですか?」
「二年の間同じ島に、話し合うた友だちと別れるのじゃ。別れを惜しむのは当然ではないか? しかし何度も手招ぎをしたのは、別れを惜しんだばかりではない。――一体あの時おれの所へ、船のはいったのを知らせたのは、この島にいる琉球人じゃ。それが浜べから飛んで来ると、息も切れ切れに船々と云う。船はまずわかったものの、何の船がはいって来たのか、そのほかの言葉はさっぱりわからぬ。あれはあの男もうろたえた余り、日本語と琉球語とを交る交る、饒舌っていたのに違いあるまい。おれはともかくも船と云うから、早速浜べへ出かけて見た。すると浜べにはいつのまにか、土人が大勢集っている。その上に高い帆柱のあるのが、云うまでもない迎いの船じゃ。おれもその船を見た時には、さすがに心が躍るような気がした。少将や康頼はおれより先に、もう船の側へ駈けつけていたが、この喜びようも一通りではない。現にあの琉球人なぞは、二人とも毒蛇に噛まれた揚句、気が狂ったのかと思うたくらいじゃ。その内に六波羅から使に立った、丹左衛門尉基安は、少将に赦免の教書を渡した。が、少将の読むのを聞けば、おれの名前がはいっていない。おれだけは赦免にならぬのじゃ。――そう思ったおれの心の中には、わずか一弾指の間じゃが、いろいろの事が浮んで来た。姫や若の顔、女房の罵る声、京極の屋形の庭の景色、天竺の早利即利兄弟、震旦の一行阿闍梨、本朝の実方の朝臣、――とても一々数えてはいられぬ。ただ今でも可笑しいのは、その中にふと車を引いた、赤牛の尻が見えた事じゃ。しかしおれは一心に、騒がぬ容子をつくっていた。勿論少将や康頼は、気の毒そうにおれを慰めたり、俊寛も一しょに乗せてくれいと、使にも頼んだりしていたようじゃ。が、赦免の下らぬものは、何をどうしても、船へは乗れぬ。おれは不動心を振い起しながら、何故おれ一人赦免に洩れたか、その訳をいろいろ考えて見た。高平太はおれを憎んでいる。――それも確かには違いない。しかし高平太は憎むばかりか、内心おれを恐れている。おれは前の法勝寺の執行じゃ。兵仗の道は知る筈がない。が、天下は思いのほか、おれの議論に応ずるかも知れぬ。――高平太はそこを恐れているのじゃ。おれはこう考えたら、苦笑せずにはいられなかった。山門や源氏の侍どもに、都合の好い議論を拵えるのは、西光法師などの嵌り役じゃ。おれは眇たる一平家に、心を労するほど老耄れはせぬ。さっきもお前に云うた通り、天下は誰でも取っているが好い。おれは一巻の経文のほかに、鶴の前でもいれば安堵している。しかし浄海入道になると、浅学短才の悲しさに、俊寛も無気味に思うているのじゃ。して見れば首でも刎ねられる代りに、この島に一人残されるのは、まだ仕合せの内かも知れぬ。――そんな事を思うている間に、いよいよ船出と云う時になった。すると少将の妻になった女が、あの赤児を抱いたまま、どうかその船に乗せてくれいと云う。おれは気の毒に思うたから、女は咎めるにも及ぶまいと、使の基安に頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶の坊じゃ。おれもあの男は咎めずとも好い。ただ罪の深いのは少将じゃ。――」
「あの女は気違いのように、何でも船へ乗ろうとする。舟子たちはそれを乗せまいとする。とうとうしまいにあの女は、少将の直垂の裾を掴んだ。すると少将は蒼い顔をしたまま、邪慳にその手を刎ねのけたではないか? 女は浜べに倒れたが、それぎり二度と乗ろうともせぬ。ただおいおい泣くばかりじゃ。おれはあの一瞬間、康頼にも負けぬ大嗔恚を起した。少将は人畜生じゃ。康頼もそれを見ているのは、仏弟子の所業とも思われぬ。おまけにあの女を乗せる事は、おれのほかに誰も頼まなかった。――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗が、口を衝いて溢れて来た。もっともおれの使ったのは、京童の云う悪口ではない。八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。」