GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 島崎藤村 『夜明け前』
現代語化
「和宮の降嫁あたりからの京都ってどう思いますか。薩摩が来る、長州が来る、土佐が来る、今度は会津が来る。大名が動いたから機運が動いたと思っちゃダメですよ。機運が動いたからこそ、薩摩の殿様が鎮撫のために来たし、長州の殿様も藩論を一変して乗り込んできた。まあ、和宮の降嫁だって、この機運が動いてることを関東に知らせたんです。ところが関東は目が覚めない。勅使が下向して、慶喜公は将軍の後見に、越前公は政事総裁にと、手を取るように言って教えて、ようやく少し目が覚めたでしょう。でも、世の中っておかしなもんでしょ。あの薩摩の殿様や、越前公や、それから土佐の殿様なんかがいくらやきもきしても、名君と言われる大名の力だけではこの機運をどうすることもできませんよ。まあ薩摩の殿様が勅使を奉じて江戸に行ってる間にですよ、もう京都の形勢は一変してました。この正月の21日には、大坂にいる幕府方の名医を殺して、その片耳を中山大納言の邸に投げ込む奴がいる。28日には千種家の家臣を殺して、その右腕を千種家の邸に、左腕を岩倉家の邸に投げ込む奴がいる。攘夷の血祭りだなんて言って、もうめちゃくちゃですよ。岩倉様なんかが恐れて隠れるのは当然でしょ。まあ京都に行ってみれば、みんな勝手に気勢を上げてるんですから。中にはもう関東なんか眼中にない奴もいますよ。こないだもある人が、江戸みたいなところから来て見ると、京都はまるで野蛮人の巣だと言って、驚いてましたよ。その代わり活気はあります。参政寄人っていう新しいお公家様の政事団体もできたし、どんな田舎から出て来た野人でも、学習院に行けば時事を建白することができる。見てください――今の京都には、何でもあります。公武合体から破約攘夷まである。そんなものが渦を巻いてる。ところでこの公武合体ですが、これがまた怪しいんですよ。そこですよ、僕たちは尊王の旗を高く掲げたい。本当に機運の向かうところを示したい。足利尊氏みたいな武将の首をさらし者にしたのも、実はそういうところから来てますよ」
「暮田さん」
「鉄胤先生は、一体どんなご意見でしょう」
「僕たちの今回の事件ですか。まあ、鉄胤先生にそんな相談をしたら、笑われるに決まってる。だから黙って実行したんです。三輪田元綱がこの事件の首謀者なんですけど、あの晩は三輪田は同席しませんでした」
原文 (会話文抽出)
「そう言えば、青山君。」
「君は和宮さまの御降嫁あたりからの京都をどう思いますか。薩摩が来る、長州が来る、土佐が来る、今度は会津が来る。諸大名が動いたから、機運が動いて来たと思うのは大違いさ。機運が動いたからこそ、薩州公などは鎮撫に向かって来たし、長州公はまた長州公で、藩論を一変して乗り込んで来た。そりゃ、君、和宮さまの御降嫁だっても、この機運の動いてることを関東に教えたのさ。ところが関東じゃ目がさめない。勅使下向となって、慶喜公は将軍の後見に、越前公は政事総裁にと、手を取るように言って教えられて、ようやくいくらか目がさめましたろうさ。しかし、君、世の中は妙なものじゃありませんか。あの薩州公や、越前公や、それから土州公なぞがいくらやきもきしても、名君と言われる諸大名の力だけでこの機運をどうすることもできませんね。まあ薩州公が勅使を奉じて江戸の方へ行ってる間にですよ、もう京都の形勢は一変していましたよ。この正月の二十一日には、大坂にいる幕府方の名高い医者を殺して、その片耳を中山大納言の邸に投げ込むものがある。二十八日には千種家の臣を殺して、その右の腕を千種家の邸に、左の腕を岩倉家の邸に投げ込むものがある。攘夷の血祭りだなんて言って、そりゃ乱脈なものさ。岩倉様なぞが恐れて隠れるはずじゃありませんか。まあ京都へ行って見たまえ、みんな勝手な気焔を揚げていますから。中にはもう関東なんか眼中にないものもいますから。こないだもある人が、江戸のようなところから来て見ると、京都はまるで野蛮人の巣だと言って、驚いていましたよ。そのかわり活気はあります。参政寄人というような新しいお公家様の政事団体もできたし、どんな草深いところから出て来た野人でも、学習院へ行きさえすれば時事を建白することができる。見たまえ――今の京都には、なんでもある。公武合体から破約攘夷まである。そんなものが渦を巻いてる。ところでこの公武合体ですが、こいつがまた眉唾物ですて。そこですよ、わたしたちは尊王の旗を高く揚げたい。ほんとうに機運の向かうところを示したい。足利尊氏のような武将の首を晒しものにして見せたのも、実を言えばそんなところから来ていますよ。」
「暮田さん。」
「鉄胤先生は、いったいどういう意見でしょう。」
「わたしたちの今度やった事件にですか。そりゃ君、鉄胤先生にそんな相談をすれば、笑われるにきまってる。だからわたしたちは黙って実行したんです。三輪田元綱がこの事件の首唱者なんですけれど、あの晩は三輪田は同行しませんでした。」