岡本綺堂 『半七捕物帳』 「あなたも気が早い。もう閻魔帳を取り出しま…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「さすがに焦り過ぎだろ。もう閻魔帳出したの?お前と会うと俺が縛られ地蔵になっちまうよ。やべーな」
「その話はこうなんだ」
「茗荷谷の林泉寺ってさ、近くにある六天町に高源寺ってのがあったんだ。名前は忘れちまったけど、高源寺として話進めるわ。そこもまあまあの寺だったんだけど、そこの門前に縛られ地蔵ってのが出てきた。林泉寺より新しいらしいな。安政の大地震の後に出現したとか」
「それで、わざわざ作ったの?」
「作ったって言うか…。寺の坊さんが夢で地蔵に会ってさ、200年以上も墓場に埋まってたんだけど、今はお前のところへ行く時が来てたんだ。縛って祈願すれば願いが叶うって言うし。朝イチで墓場の銀杏の木の根っこ掘ったら、地蔵が出てきたんだって。昔はよくそういう話があったんだって。で、高源寺でその地蔵を門前に祀って、林泉寺みたいにお堂作って拝むようにしたのよ。近い場所だったから、競争みたいになっちゃった。昔も今も神仏って流行り廃りがあるじゃん?はやり神はめっちゃ繁盛するけど、そのうち廃れてく。だから、流行りもせず廃れもしないのが本当の神仏だとか言うんだけど。人間は新しいのが好きだから、最近できた神仏はしばらく繁盛するんだって。高源寺の縛られ地蔵も最初は超繁盛だったらしいよ。線香とお賽銭がすごかったんだって。せっかくだから縁起が良い地蔵を縛った方がご利益あるべってことで」
「それでそのご利益はあったの?」
「あったのかは知らんけど、流行りもんは廃れるってのは確かで、最初は繁盛した縛られ地蔵も3、4年でだんだん寂れてきて、参拝するやつはまた林泉寺のほうに行っちゃったんだ。んで、ここからは安政六年7月以降の話ね。去年の安政五年はあの大コレラでしょ?江戸中が真っ暗闇みたいな状態だったから、今年はまたあんなことになったらやべーなってみんなびくびくしてたら、6月の終わりごろからまたコレラみたいな病気の人が出てきたらしい。去年ほどは流行ってないけど、それでも吐いたり下したりで死んじゃう人が結構いて、町はざわざわしてたんだ。去年の大コレラがきつかったから、寄れば触ればその噂ばっか。そんな中で変な噂が立ったんだ。高源寺の縛られ地蔵が踊ってるって…」
「地蔵が踊るって…」
「笑っちゃダメだよ。昔と今の感覚が違うんだよ。地蔵が踊るって聞くと、お前はすぐに笑うけど、昔の人はまじめに不思議がってたんだ。昔でも頭の良い人はお前のみたいに笑っただろうけど、当時の町人とかはまじめに不思議がって、どんどん噂が広がったんだよ。石の地蔵だから、普通の人間みたいに手拍子して踊るんじゃなくて、右に行ったり左に行ったり、前に行ったり後ろに行ったり、ぐらぐら揺れるのが踊ってるみたいに見えたんだって。昼間じゃなくて、日が暮れる頃から踊り始めるらしい。7月でも盆踊りするわけねえだろって思うじゃん?でも、誰かが言い出したのかまた噂が広まって、この踊りを観た人は今年のコレラに感染しないらしいって言うようになって」
「地蔵はいつも踊ってるの?」

原文 (会話文抽出)

「あなたも気が早い。もう閻魔帳を取り出しましたな。あなたに出逢うと、こっちが縛られ地蔵になってしまいそうで。あはははは」
「そのお話というのは、まあ斯うです」
「林泉寺は茗荷谷ですが、それから遠くない第六天町に高源寺という浄土の寺がありました。高源寺か高厳寺か、ちょっと忘れてしまいましたが、まあ高源寺としてお話を致しましょう。これも可なりの寺でしたが、この寺の門前にも縛られ地蔵というものが出現しました。林泉寺に比べると、ずっと新らしいもので、なんでも安政の大地震後に出来たものだそうです」
「そういう地蔵を新規に拵えたんですか」
「まあ、拵えたと云えば云うのですが……。高源寺の住職の夢に地蔵尊があらわれて、我れは寺内の墓地の隅にあって、土中に埋めらるること二百余年、今や結縁の時節到来して人間に出現することとなった。我れを縛って祈願するものは、諸願成就うたがい無からん。夜が明ければ、墓地の北の隅にある大銀杏の根を掘ってみよ、云々というお告げがあったので、その翌朝すぐに掘ってみると、果たして大銀杏の下から三尺あまりの石地蔵があらわれ出たというわけで……。嘘か本当か、昔はしばしばこんな話がありました。そこで、高源寺でもその地蔵さまを門前に祀って、やはり小さいお堂をこしらえて、林泉寺同様の縛られ地蔵を拝ませる事になりました。場所が近いだけに、なんとなく競争の形です。 いつの代でもそうかも知れませんが、昔は神仏に流行り廃りがありまして、はやり神はたいへんに繁昌するが、やがて廃れる。そこで、流行らず廃らずが本当の神仏だなぞと云ったものですが、新らしきを好むが人情とみえて、新らしく出来た神さまや仏さまは一時繁昌するのが習いで、高源寺の縛られ地蔵も当座はたいそう繁昌、お線香やお賽銭がおびただしいものであったと云います。どうで縛るならば、繁昌の地蔵さまを縛った方が御利益があるだろうと云うわけでしょう。 その御利益があったか無かったか知りませんが、前にも申す通り、流行りものはすたれる道理で、一時繁昌の縛られ地蔵も三、四年の後にはだんだんに寂れて、参詣の足はふたたび本家の林泉寺にむかうようになりました。これからのお話は安政六年七月以後の事と御承知ください。去年の安政五年は例の大コロリで、江戸じゅうは火の消えたような有様でしたから、ことしの夏は再びそんな事の無いようにと、誰も彼もびくびくしていると、六月の末頃からコロリのような病人が、又ぼつぼつとあらわれて来ました。もちろん去年ほどの大流行ではありませんが、吐くやら瀉すやらで死ぬ者が相当にあるので、世間がおだやかではありません。なにしろ去年の大コロリにおびえ切っているので、寄ればさわればその噂でした。又その最中に不思議な噂が立ちました。高源寺の縛られ地蔵が踊るという……」
「地蔵が踊る……」
「笑っちゃいけない。そこが古今の人情の相違です。地蔵が踊るといえば、あなたはすぐに笑うけれども、昔の人はまじめに不思議がったものです。たとい昔でも、料簡のある人達はあなたと同様に笑ったでしょうが、世間一般の町人職人はまじめに不思議がって、その噂がそれからそれへと広がりました。もとより石の地蔵さまですから、普通の人間のように、コリャコリャと手を叩いて踊り出すのじゃあない。右へ寄ったり、左へ寄ったり、前へ屈んだり、後へ反ったり、前後左右にがたがた揺れるのが、踊っているように見えると云うわけです。昼間から踊るのではなく、日が暮れる頃から踊りはじめる。いくら七月でも、地蔵さままでが盆踊りじゃああるまいと思っていると、誰が云い出したのか、又こんな噂が立ちました。この踊りを見たものは、今年のコロリに執り着かれないと云うのです」
「地蔵は始終踊っているんですか」


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