岡本綺堂 『半七捕物帳』 「この人は四谷坂町の伊豆屋という酒屋さんの…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「この人は四谷坂町の伊豆屋っていう酒屋さんの番頭さんで、ちょっと親分に頼みごとがあるってことで、私が一緒に連れてきました」
「一通りはさっき幸次郎さんにもお話したんですが、こちらのお店でちょっと困ったことがありまして……」
「おや、そうですか。それで、その一件というのは何か面倒なことですか?」
「実はこの5日のことでございますが、ご存知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物したいと申しまして、おかみさんと総領息子、それに私と若い者の孫太郎と、都合4人連れで6時半(午前7時)頃から店を出ました。もちろんおかみさんだけは駕籠で、男どもは歩いて参りました。この時期は日も長いんですが、途中で休憩しながら参りましたので、府中の宿に着いた頃にはもう薄暗くなっていました。このお祭りには初めて参ったんですが、噂に聞いたよりも大変な賑わいでした。土地勘のない者にとってはまごまごするほどで、それでもなんとか釜屋という宿屋に泊めてもらうことになりましたが、その宿屋がまた大変混雑していて、これは困ったと思いましたが、どこの宿屋も今夜はみんな同じだと聞かされて、まあ我慢することにしました」
「私も今年の3月に府中に泊まりましたが、普段はひっそりとしています」
「でもお祭りの時は大変だと、女中たちも言っていましたよ」
「まったくびっくりしました」
「それほど大きくもない宿屋に100人以上が泊まるもんだから、1つの部屋に15人や20人まで押し込まれて、座る場所もないような始末です。夕食の膳も自分で台所に行って受け取りに行かないといけないんです。まるで火事場のような騒ぎです。こんなことと知っていたら来なかったと、おかみさんも後悔していましたが、今さら帰るにも帰れず、へこたれて辛抱していると、4時(午後10時)過ぎくらいでしょうか、今お神輿のお通りでございます。灯を消しますと触れ回る声が聞こえたかと思うと、中も外もいっぺんに灯を消して真っ暗になりました。それが、お通りだというので、我も我もと店先に手探りしながら駆け出しましたが、何も見えません。闇の中で神輿の金具がカラリカラリと鳴る音と、それを担いでいく白丁の足音がしとしとと聞こえるばかりです。神輿は上の町の御旅所へ送られて、暗闇の中で配膳の儀式があるらしいんですが……。その間は中も外も真っ暗です。夜中の2時頃に儀式が終わると、いっぺんにぱっと灯をつけて、町じゅうが突然明るくなりました。先ほど申し上げた通り、それまでは真っ暗で、どこに誰がいるか、さっぱり分かりませんでしたが、明るくなってみると、おかみさんの姿が見当たらないんです。若旦那も孫太郎も私も心配して、混雑の中を縫って、そこらを何度も探し回りましたが、どうしても姿が見えません。なにしろ夜中だし、大変な混雑だったので、何もできません。夜が明けたらどこかから出てくるだろうと、3人は一睡もせずに、夜が白むのを待っていましたが、おかみさんの姿はどうしても見つかりません。そのうちに昼になって、他の客はだんだん引き上げていきましたが、こちらは帰ることができません。宿の人に頼んで、心当たりをくまなく探してもらいましたが、何も手がかりがありません。その晩は結局府中に泊まりましたが、おかみさんは帰ってきませんでした。店の方も心配しているだろうと思いまして、3人で話し合って、孫太郎だけ府中に残し、若旦那と私は早駕籠で江戸へ戻りました。主人も驚いて、親戚などを集めて、昨日夜遅くまでいろいろ相談しましたが、みんな心配するばかりで、さてどうすればいいか分かりません。町内の下駄屋さんがこの幸次郎さんと仲がいいと聞きましたので……」
「そういうわけで、私のところへ頼りに来たんですが……」
「私1人では請け負えません。まして江戸から5里7里も離れた仕事ですから、親分に何とかしてもらおうと思って、こうして一緒に来たんですが、どうでしょう、なんとかなりませんか。番頭さんもひどく心配なさっているんですが……」
「若い者じゃありませんし、いい年をした私がお供をして参って、おかみさんの姿をなくしたと申しては、主人はもちろん、世間に対しても申し訳が立ちません。これがお武家なら、腹でも切らなければならないところです。親分さん。お察しください」
「まあ、分かりました。できることかできないかは分かりませんが、せっかくの頼みですから、何とかやってみましょう」
「おい、幸。今年の春に初めて府中へ行ったのも、何かの縁かもしれませんね」
「そうですね」
「それで、親分。この番頭さんに何か聞いておくことはありませんか?」
「大いにあります。早速ですが、そのおかみさんはいくつで、どんな人ですか?」
「おかみさんはお八重と申しまして、18歳の時に伊豆屋に嫁いでまいりまして、翌年に総領息子の長三郎を生みました。その長三郎が今年で20歳になりますから、おかみさんは38で、容貌も悪くなく、年齢よりも若く見える方です」

原文 (会話文抽出)

「この人は四谷坂町の伊豆屋という酒屋さんの番頭さんですが、少し親分にお願い申してえことがあるので、わっしが一緒に連れて来ました」
「ひと通りのことはさっき幸次郎さんにもお話し申したのでございますが、手前どもの店に少々困ったことが出来いたしまして……」
「はあ、そうですか。そこで、その一件というのは何か面倒なことですかえ」
「実はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申しまして、おかみさんと総領息子、それにわたくしと若い者の孫太郎と、都合四人づれで六ツ半(午前七時)頃から店を出ました。勿論おかみさんだけは駕籠で、男共は歩いて参りました。日の長い時節ではございますが、途中で休み休み参りましたので、府中の宿へ着きました頃には、もう薄暗くなって居りました。さてこのお祭りには初めて参ったのでございますが、噂に聞いたよりも大層な繁昌で、土地馴れない者はまごつく位、それでもどうやら釜屋という宿屋に泊めて貰うことになりましたが、その宿屋がまた大変な混雑で、これでは困ると思ったのですが、どこの宿屋も今夜はみんなこの通りだと聞かされて、まあ我慢することになりました」
「わたしもこの三月、府中に泊まりましたが、ふだんの時だから至ってひっそりしていました」
「しかしお祭りの時は大変だと、女中たちも云っていましたよ」
「まったく案外でございました」
「それほど大きくもない宿屋に百何十人という泊まりですから、一つの部屋に十五人も二十人も押し込まれて、坐る所もないような始末。お夜食の膳もめいめいが台所へ行って、自分が貰って来なければならない。まるで火事場のような騒ぎでございます。こんな事と知ったら来るのじゃあなかったと、おかみさんも後悔していましたが、今さら帰るにも帰られず、まあ小さくなって辛抱して居りますと、やがて四ツ(午後十時)過ぎでもございましょうか、唯今お神輿のお通りでございます。灯を消しますと触れて廻る声がきこえたかと思うと、内も外も一度に灯を消して真っ暗になってしまいました。 それ、お通りだというので、我れも我れもと店さきへ手探りながら駈け出しましたが、なんにも見えません。暗いなかでお神輿の金物がからりからりと鳴る音と、それを担いで行く白丁の足音がしとしとと聞こえるばかり。お神輿は上の町のお旅所へ送られて、暗闇のなかで配膳の式があるのだそうで……。そのあいだは内も外も真っ暗でございます。夜なかの八ツ(午前二時)頃に式を終りますと、一度にぱっと灯をつけて、町じゅうは急に明るくなりました。くどくど申す通り、それまでは真の闇で、どこに誰がいるか、さっぱり判りませんでしたが、さて明るくなって見ると、おかみさんの姿が見付かりません。若旦那も孫太郎も、わたくしも心配して、混雑のなかを抜けつ潜りつ、そこらを頻りに探して歩きましたが、どうしても姿が見えません。 なにしろ夜なかではあり、大変な混雑ですから、どうすることも出来ません。夜が明けたら何処からか出て来るだろうと、三人は一睡も致さずに、夜の白らむのを待って居りましたが、おかみさんの姿はどうしても見えません。そのうちに日が高くなって、ほかの客はだんだんに引き揚げてしまいましたが、わたくし共は帰ることが出来ません。宿屋の者にも頼みまして、心あたりを隈なく探させましたが、なんにも手がかりがございません。その晩はとうとう府中に泊まりましたが、おかみさんは帰って参りません。店の方でも心配しているだろうと存じまして、三人相談の上で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。 主人もおどろきまして、親類などを呼びあつめて、ゆうべは夜の更けるまでいろいろ相談を致しましたが、みんなも心配するばかりで、さてどうという知恵もございません。町内の下駄屋さんがこの幸次郎さんとお心安くしていると云うことを聞きまして……」
「そういうわけで、わっしの所へ頼みに来なすったのですが……」
「わっし一人で請け合うわけにゃあ行かねえ。まして江戸から五里七里と踏み出す仕事だから、親分にすがって何とかして貰おうと云うので、こうして一緒に出て来たのですが、どうでしょう、なんとかなりますめえか。番頭さんもひどく心配していなさるんですが……」
「若い者では無し、いい年をしたわたくしが供をして参りまして、おかみさんの姿を見失ったと申しては、主人は勿論、世間に対しても申し訳がございません。これがお武家ならば、腹でも切らなければならない処でございます。親分さん。お察しください」
「まあ、ようござんす。出来ることか出来ないことか知りませんが、折角のお頼みですから、なんとかやってみましょう」
「おい、幸。この春、初めて府中へ行ったのも、何かの因縁かも知れねえ」
「そうですねえ」
「そこで、親分。この番頭さんに何か訊いて置くことはありませんかえ」
「大有りだ。早速だが、そのおかみさんというのは幾つで、どんな人ですね」
「おかみさんはお八重と申しまして、十八の年に伊豆屋へ縁付いてまいりまして、翌年に総領息子の長三郎を生みました。その長三郎が当年二十歳になりますから、おかみさんは三十八で、容貌も悪くなく、年よりも若く見える方でございます」


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