GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。
青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』
現代語化
「芝居とか講談とかで知ってるだろ? みたいな感じで、国を陰から守る探偵みたいなものです」
「徳川幕府が他の大名の領地に隠密を送ってたのは有名だけど、その隠密って誰がやってたのか、どんな仕事してたのかってのはよくわかってないみたいなんだよね。それで、その隠密の仕事は、江戸城にある吹上の御庭番がやってて、一生に一度だけこの役目を務めればいいことになってたんだ。なぜ御庭番がこの仕事をするようになったかっていうと、いろんな説があるんだけど、将軍の三代目の家光公が、吹上の御庭を歩いてた時に、御庭番の水野ってやつを呼んで、「薩摩に行って、城の中の様子を隠密に調べて来い」ってご自身で命令したんだって。で、水野はその隠密がバレないように、自分の家にも帰らずに、お城から真っ直ぐ九州へ行ったっていう話があるんだ。水野が庭師に化けて薩摩に入って、城の中の蘇鉄に手裏剣を刺してきたっていう有名な話があるけど、本当かはわかんない。とにかくそれがきっかけで、隠密の仕事はいつも吹上の御庭番がやることになったんだって、江戸時代ではよく言われてた。御庭番は吹上奉行の部下で、若年寄の管理下にあったんだけど、隠密の仕事だけは必ず将軍ご自身から直接命令を受けることになってて、御庭番自体はそんなに偉い役じゃないんだけど、隠密の仕事はすごく重いものになってた。だから、御庭番の家に生まれたやつは、いつこの仕事が来るかわからないから、その覚悟を持っとかないといけなかった。もちろん、侍の姿で行くわけにはいかないから、いざという時に何に化けるか、みんな普段から考えてたんだ。手先が器用なやつは職人になる。芸ができるやつは芸人になる。博打が好きなやつは博徒になる。おべんちゃらが上手い奴は旅商人になる。碁打ちになる、俳句師になる。梅川の浄瑠璃みたいに、時には巡礼者、古着屋、季節労働者までやってたみたいで、子供の頃からそういうことを考えてたんだ。それで、あの水野の話をきっかけに、この仕事を命令されると同時に将軍から直接お金をもらえることになった。それを旅費にして、お城から真っ直ぐ出発するのが決まりで、自分の家には帰れなくなってた。幕府が他の大名の領地に隠密を出す理由はいろいろあったけど、大名の交代の時は必ず隠密を出した。それはお家騒動に注意するためだった。先ほども言った通り、隠密は一生に一度の仕事で、それをうまくやればあとはほとんど何もせずに過ごせるから、気楽な身分にも見えるけど、この隠密の仕事は命がけで、どの藩でも隠密が入り込んだことがわかると、必ず殺しちゃうんだ。もともと秘密の仕事だから、公然と殺されたことがわかってても、幕府から表向き文句は言えない。どうせ泣き寝入りで殺されちゃうんだ。隠密の期限は一年で、それが三年たっても帰ってこなければ、出先で殺されたと認めて、その子供か弟に家督を継がせた。でも、いきなり殺されるのは運がいい方で、意地悪な大名になるとそれを捕まえて、江戸へ送り返したりすることもあった。だから、もし捕まった場合、どんなに拷問されても、自分が幕府の隠密だっていうのは絶対に言わなかった。言っちゃうと、本人は死刑になるし、家は断絶する。そういう恐ろしいことになってたから、隠密はもし捕まったら、目を瞑って拷問で殺されるか、自殺するか牢屋を破って逃げるか、その3つから選ぶしかなかったんだ。だから隠密はみんな着物の襟の中に薄い刃物を忍ばせてた」
「なるほど、大変な仕事だったんですね」
「それで、隠密に出された人たちは、その先でいろんな怖いことやおかしいこと、悲惨なことや楽しいことがあったみたいだけど、何しろ命がけでやるんだからね、本人は必死だった。そうそう、隠密に関する面白い話がある。さっき言った悲惨なことや楽しいこととは毛色が違う話だから、自分のことじゃないけど、昔聞いた話を一つしましょう。この話は、隠密の仕事に間宮鉄次郎って人が当たった時のことで、間宮さんはその頃25歳の厄年だったんだって。それから最初に言っておくと、この話の舞台は主に奥州地方だから、登場人物はみんな奥州弁で喋らなきゃいけないんだけど、白石噺の揚屋の茶番みたいになっちゃっては全然面白くないから、やっぱり江戸弁でそのままお話しします」
原文 (会話文抽出)
「江戸時代の隠密というのはどういう役なんですね」
「芝居や講釈でも御存知の通り、一種の国事探偵というようなものです」
「徳川幕府で諸大名の領分へ隠密を入れるというのは、むかしから誰も知っていることですが、その隠密は誰がうけたまわって、どういう役目を勤めるかということがよく判っていないようです。この隠密の役目を勤めるのは、江戸城内にある吹上の御庭番で、一代に一度このお役を勤めればいいことになっていました。 なぜ御庭番がこのお役を勤めることになったかというと、それにはいろいろの説がありますが、三代将軍家光公がある時、吹上の御庭をあるいている時に、御庭番の水野なにがしというのを呼んで、これからすぐに薩摩へ下って、鹿児島の城中の模様を隠密に見とどけてまいれと、将軍自身に仰せ付けられたので、水野はその隠密の洩れるのを恐れて、自分の屋敷へ帰らずにお城からまっすぐに九州へ下ったということです。水野が庭作りに化けて薩摩へ入り込んで、城内の蘇鉄の根方に手裏剣を刺し込んで来たというのは有名な話ですが、嘘だかほんとうだか判りません。とにかくそれが先例になって、隠密の役はいつも吹上の御庭番が勤めることになったのだと、江戸時代ではもっぱら云い伝えていました。御庭番は吹上奉行の組下で若年寄の支配をうけていましたが、隠密の役に限ってかならず将軍自身から直接に云い付けられるのが例となっているので、御庭番はさして重い役ではありませんが、隠密の役は非常に重いことになっていました。 それですから、御庭番の家に生まれた者はなんどき其の役目を云い付けられるか判らないので、その覚悟をしていなければなりません。勿論、侍の姿で入り込むわけには行きませんから、いざという時には何に化けるか、どの人もふだんから考えているんです。手さきの器用なものは何かの職人になる。遊芸の出来る者は芸人になる。勝負事の好きなものは博奕打になる。おべんちゃらの巧い奴は旅商人になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃じゃあないが、あるいは順礼、古手買、節季候にまで身をやつす工夫を子供の時から考えていた位です。そうして、かの水野が先例になったのでしょう。その役目を云い付かると同時に将軍から直々御手許金を下さる。それを路用にしてお城からまっすぐに出発するのが習いで、自分の家へ帰ることは許されないことになっていました。 幕府が諸大名の領内へ隠密を出すのは、いろいろの場合があるので一概には云えませんが、大名の代換りという時には必ず隠密を出しました。それは例のお家騒動に注意するためです。前にもいう通り、隠密は一代に一度のお役で、それを首尾よく勤めさえすれば、あとは殆ど遊んでいるようなもので、まことに気楽な身分にも見えますが、この隠密という役はまったく命懸けで、どこの藩でも隠密が入り込んだことに気がつくと、かならずそれを殺してしまいます。もともと秘密にやった使ですから、見す見す殺されたことを知っていても、幕府からは表向きの掛け合いは出来ません。所詮は泣き寝入りの殺され損になるに決まっていたものです。隠密の期限は一年で、それが三年をすぎても帰って来なければ、出先で殺されたものと認めて、その子か又は弟に家督相続を仰せ付けられることになっていました。しかしひと思いに殺されたのは運のいい方で、意地の悪い大名になるとそれを召し捕って、面当てらしく江戸へ送り還してよこすのがあります。それですから、万一召し捕られた場合には、たといどんな厳しい拷問をうけても、自分が公儀の隠密であるということを白状しないのが習いで、もし白状すれば当人は死罪、家は断絶です。そういう恐ろしいことになっていますから、隠密がもし召し捕られた場合には眼を瞑って責め殺されるか、但しは自殺するか破牢するか、三つに一つを選むよりほかはないので、隠密はかならず着物の襟のなかにうす刃の切れ物を縫い込んでいました」
「なるほど、ずいぶん難儀な役ですね」
「それですから、隠密に出された人たちは、その出先で、いろいろのおそろしいこともあり、おかしいこともあり、悲劇喜劇さまざまだそうですが、なにしろ命懸けで入り込むんですから、当人たちに取っては一生懸命の仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺の揚屋のお茶番で、だだあやがあまを下手にやり損じると却ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します」