夏目漱石 『趣味の遺伝』 「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約…

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青空文庫図書カード: 夏目漱石 『趣味の遺伝』

現代語化

「本当に可哀想なことだったんだけど、殿様の命令だからどうすることもできなくて。で、帯刀は娘に責任を押し付けちゃって、結局川上んとこの縁談を破談にしちまった。両家は今まで通り向かい同士だったんだけど、あれこれ面倒くさいから、帯刀は国元に預けられ、川上は江戸に残ることになったんだ。俺の親父がまとめたってことになってる。川上が江戸で金を使ったのも、全部そういうことがあって落ち込んでたからなんだよ。で、この話、今だから話せるけど、当時は両家のメンツに関わることだったから、内緒で済ませたから、意外と知ってるやつはいない」
「その美人の顔って覚えてます?」
「覚えてるよ、俺もその頃は若かったし。若い奴って、美女には目が行くもんだ」
「どんな顔だったんですか?」
「どんなって言われても、別にどうってことはないんだ。でも血筋ってすごいもんで、今の小野田の妹がよく似てる。――知らないか、あいつも大学出ててさ――工学博士の小野田ってやつ」
「白山の方にいる人ですか?」
「やっぱり知ってるのか、原町にいるよ。あいつまだ嫁に行ってないみたいだけど。――お屋敷のお姫様の相手によく来るよ」

原文 (会話文抽出)

「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果を含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云う取り計をわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目に関わると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」
「その美人の顔は覚えて御出でですか」
「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」
「どんな顔ですか」
「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」
「白山の方にいるでしょう」
「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様の御相手に時々来ます」


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