岡本綺堂 『半七捕物帳』 「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「「世の中も変わってきたけど、見世物の内容はあんまり変わらないみたいですね」
「ろくろ首の見世物なんて江戸時代からやってるけど、今も廃れないのは不思議ですね。前に話した氷川の蛇の観世物も、正体がわかれば大抵そんなもんなんですけど、人間の好奇心なんですかね、騙されるとわかってても入場料を払ってしまう。そこに香具師や因果物師の付け入る隙があるでしょうね。見世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの見世物、幽霊の見世物なんてのが時々流行りました。 お化けって言っても、幽霊って言っても、まあ似たようなものですが、他の見世物みたいに人形が飾ってあるわけじゃなくて、入場料を払って小屋に入ると、暗い狭い入り口があるんです。そこを抜けると、やっぱり薄暗い狭い路地があって、その路地を右へ左へ曲がって裏口の出口に行くんですが、その間に色んな怖い仕掛けがしてある。柳の下に血まみれの女の幽霊が立ってたり、竹藪から男の幽霊が体半分出してたり。小さな川を渡ろうとすると、川には蛇がいっぱい這ってる。あちこちに鬼火みたいな焼酎の炎が燃えてる。とにかく道が狭いんで、幽霊とぶつかって通らないといけないんです。道の真ん中に大きなヒキガエルが這い出してたり、人間の生首が転がってたりして、嫌でも跨いで通らないといけない。 作り物ってわかってても、あまり気分の良いもんじゃないですね。 でも、さっきも言った通り、好奇心なのか、怖いもの見たいのか、こういう類の見世物は結構繁盛しました。もう一つには、こういう見世物は大抵景品付きなんです。無事に裏口まで通り抜けると、景品として浴衣の一反をくれたり、手拭い二本をくれたりすることになってるんで、欲に負けて入るやつも少なくないんです」
「通り抜けたら、本当に浴衣とか手拭いくれるんですか?」
「そりゃあくれますとも」
「江戸時代の見世物だとしても、くれるって言ったらやらないわけにはいきません。そんな嘘ついたら、小屋を壊されちゃいますよ。でも、ほとんどの人は無事に裏口まで通り抜けられなくて、途中で引き返してしまうようですね。なんでかっていうと、最初はそうでもないけど、出口に近づくにつれて、ものすごく気持ち悪いものに出くわすんで、もう我慢できなくなって逃げることになるんです。自分は無事に通って反物をもらったとか自慢してるやつは、興行主の手下が多かったようです。その噂に誘われて、自分なら大丈夫って感じで押し掛けて行っても、やっぱり途中でギャーって叫んで逃げてくる。つまりは馬鹿にされながらお金を取られるんですけど、さっきも言った通り、怖い物見たい気持ちと欲が手伝うんで仕方がない。 その幽霊の見世物に関して、こんな話があります。そもそもこういう見世物は夏から秋にかけてやるのが普通で、冬の寒い時期に幽霊の見世物なんてなかったみたいです。歌舞伎でも怪談ものの狂言は夏か秋に上演されるのが決まりでした。で、この話も安政元年の7月末――前に『正雪の絵馬』って話しましたよね。淀橋の水車小屋が爆発した事件。あれは安政元年の6月11日の出来事ですが、これは翌月の下旬、確か26、7日頃だったと思います。 その頃、浅草の仁王門の近くに、例の幽霊の見世物小屋ができました。これは賢いやり方で、出口が二ヶ所あるんです。途中で道が二つに分かれていて、右に出ればさほど怖くはないけど、その代わり景品はなし。左に出ると色んな怖い目に逢うけど、それを無事に通り抜けたら景品がもらえる。つまり、弱い人にも強い人にも見世物が見れるように作ってあるんで、女子供も入りました。その女の中で、幽霊におびえて死んじゃったのがいるんです。それで騒ぎになって、さあ、聞いてください」

原文 (会話文抽出)

「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の種はあんまり変らないようですね」
「ろくろ首の観世物なんぞは、江戸時代からの残り物ですが、今に廃らないのも不思議です。いつかもお話し申したことがありますが、氷川のかむろ蛇の観世物、その正体を洗えば大抵そんな物なんですが、つまりは人間の好奇心とか云うのでしょうか、だまされると知りながら木戸銭を払うことになる。そこが香具師や因果物師の付け目でしょうね。観世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの観世物、幽霊の観世物なぞというのが時々に流行りました。 お化けと云っても、幽霊と云っても、まあ似たようなものですが、ほかの観世物のようにお化けや幽霊の人形がそこに飾ってあるという訳ではなく、まず木戸銭を払って小屋へはいると、暗い狭い入口がある。それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄い仕掛けが出来ている。柳の下に血だらけの女の幽霊が立っているかと思うと、竹藪の中から男の幽霊が半身を現わしている。小さい川を渡ろうとすると、川の中には蛇がいっぱいにうようよと這っている。そこらに鬼火のような焼酎火が燃えている。なにしろ路が狭く出来ているので、その幽霊と摺れ合って通らなければならない。路のまん中にも大きい蝦蟇が這い出していたり、人間の生首がころげていたりして、忌でもそれを跨いで通らなければならない。拵え物と知っていても、あんまり心持のいい物ではありません。 ところが、前にも申す通り、好奇心と云うのか、怖いもの見たさと云うのか、こういうたぐいの観世物はなかなか繁昌したものです。もう一つには、こういう観世物は大抵景品付きです。無事に裏木戸まで通り抜けたものには、景品として浴衣地一反をくれるとか、手拭二本をくれるとか云うことになっているので、慾が手伝ってはいる者も少なくないんです」
「通り抜ければ、ほんとうに浴衣や手拭を呉れるんですか」
「そりゃあ呉れるには呉れます」
「いくら江戸時代の観世物だって、遣ると云った以上はやらないわけには行きません。そんな与太を飛ばせば、小屋を打ち毀されます。しかし大抵の者は無事に裏木戸まで通り抜けることが出来ないで、途中から引っ返してしまうようになっているのです。と云うのは、初めのうちはさほどでもないが、いよいよ出口へ近いところへ行くと、ひどく気味の悪いのに出っくわすので、もう堪まらなくなって逃げ出すことになる。おれは無事に通って反物を貰ったなぞと云い触らすのは、興行師の方の廻し者が多かったようです。そのうわさに釣られて、おれこそはという意気込みで押し掛けて行くと、やっぱり途中できゃあと叫んで逃げて来る。つまりは馬鹿にされながら金を取られるような訳ですが、前にも云う通り、怖い物見たさと慾とが手伝うのだから仕方がない。 その幽霊の観世物について、こんなお話があります。一体こういう観世物は夏から秋にかけて興行するのが習いで、冬の寒いときに幽霊の観世物なぞは無かったようです。芝居でも怪談の狂言は夏か秋に決まっていました。そこでこのお話も安政元年の七月末――いつぞや『正雪の絵馬』というお話をしたでしょう。淀橋の水車小屋が爆発した一件。あれは安政元年の六月十一日の出来事ですが、これは翌月の下旬、たしか二十六七日頃のことと覚えています。 その頃、浅草、仁王門のそばに、例の幽霊の観世物小屋が出来ました。これは利口なやりかたで、出口が二ヵ所にある。途中から路がふた筋に分かれていて、右へ出ればさのみに怖くないが、その代りに景品を呉れない。左へ出るといろいろな怖い目に逢うが、それを無事に通れば景物を呉れる。つまりは弱い者にも強い者にも見物が出来るような仕組みになっているので、女子供もはいりました。その女のなかで、幽霊におびえて死んでしまったのがある。それからひと騒動、まあ、お聴きください」


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