岡本綺堂 『半七捕物帳』 「犯人はまだ判りませんかね」…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「犯人はまだ分かってないの?」
「警察も頑張ってるみたいだけど、手がかりが何もないらしいよ」
「変態の仕業なんじゃないかって説もあるらしいけど、頭おかしいんだろうね」
「ま、頭おかしいんだろうな。昔から髪の毛切ったり、顔切ったり、帯切ったり、そういうのいろいろあったんだよね。その中でも有名なのが槍突きだったよ」
「槍突き……。槍で人を刺すの?」
「そう。意味もなく刺し殺すんだって。知ってる?」
「知らない」
「まぁ、これは俺が自分でやった事件じゃないんだけど、人から聞いた話だから、ちょっと間違ってるかもしれないけど、大体こんな話なんだ」
「文化三年の正月の終わりごろから江戸で槍突きって悪いことが流行ったんだ。暗闇から槍を持った奴が突然飛び出してきて、通り行く人を意味もなく突き刺すんだ。刺された人は大変で、その場で死んじゃう人も多かった。犯人は分からずじまいで、いつの間にか話題にならなくなったんだけど、文政八年の夏から秋にかけて、またそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の近くで、駕籠の外から刺されて死んじゃった。富本から新しい流派を作ったくらいの人だから、誰かの妬みだろうって噂もあったけど、実は何も原因はなく、やっぱりその槍突きによって殺されたんだ。山の手には武家屋敷が多いからか、そういう噂はあまり聞かなかったみたいだけど、主に下町を荒らしまわったんだ。とにかく物騒だったから、夜になると外を歩くのもビクビクで、いつ突然刺されるか分からなかったんだって。文化の頃の落書きにも『春の夜の闇は危ない槍梅の、脇こそ見えぬ人は刺される』とか『月がきれいって言うけど月には刺されないよ、暗闇って言うけど止まない槍騒動』なんてのがあった。今回はもう落書きどころじゃないよ。うっかりすると命に関わるんだから、みんな前にお灸を据えられて縮み上がってたんだ。そんな状況だから、上ももちろん黙っちゃいなかった。厳しく槍突きの犯人捜索をしたんだけど、なかなか分からなくて、夏から秋まで続いたんだから大変だよ。八丁堀同心の「大淵吉十郎」って人は、もし今年中に犯人が捕まらなければ切腹するとか言って悔しがったんだって。親方がそんな覚悟だから、岡っ引もみんな血眼になってた。他の仕事はほったらかしてでも、この槍突きを解決しなきゃいけなくて、捜査に捜査を重ねてたんだ。そしたら葺屋町の七兵衛っていう岡っ引がいて、後に辻占いの七兵衛って言われたんだ。もうその頃は五十八歳くらいだったらしいけど、体が元気で目が利く男だったらしい。これから話すのは、その七兵衛の捜査の話だよ……」

原文 (会話文抽出)

「犯人はまだ判りませんかね」
「警察でも随分骨を折っているようですが、なんにも手がかりが無いようです」
「一種の色情狂だろうという説もありますが、なにしろ気ちがいでしょうね」
「まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ」
「槍突き……。槍で人を突くんですか」
「そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか」
「知りません」
「尤もこれはわたくしが自分で手がけた事件じゃあありません。人から又聞きなんですから、いくらか間違いがあるかも知れませんが、まあ大体はこういう筋なんです」
「文化三、丙寅年の正月の末頃から江戸では槍突きという悪いことが流行りました。くらやみから槍を持った奴が不意に飛び出して来て、往来の人間をむやみに突くんです。突かれたものこそ実に災難で、即死するものも随分ありました。その下手人は判らずじまいで、いつか沙汰やみになってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹てたくらいの人ですから、誰かの妬みだろうという噂もありましたが、実はなんにも仔細はないので、やはりその槍突きに殺られてしまったんです。山の手には武家屋敷が多いせいか、そんな噂はあまりきこえませんで、主に下町をあらして歩いたんですが、なにしろ物騒ですから暗い晩などに外をあるくのは兢々もので、何時だしぬけに土手っ腹を抉られるか判らないというわけです。文化のころの落首にも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』などというのがありました。今度はもう落首どころじゃありません。うっかりすると落命に及ぶのですから、この前に懲りてみな縮み上がってしまいました。そういう始末ですから、上でも無論に打っちゃっては置かれません。厳重にその槍突きの詮議にかかりましたが、それが容易に知れないで、夏から秋まで続いたのだから堪まりません。八丁堀同心の大淵吉十郎という人は、もし今年中にこの槍突きが召捕れなければ切腹するとか云って口惜しがったそうです。旦那方がその覚悟ですから、岡っ引もみんな血眼です。ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなければならないというので、詮議に詮議を尽していましたが、そのなかに葺屋町の七兵衛、後に辻占の七兵衛といわれた岡っ引がいました。もうその頃五十八だとかいうんですが、からだの達者な眼のきいた男だったそうです。これからお話し申すのは、その七兵衛の探偵談で……」


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