岡本綺堂 『半七捕物帳』 「わたくしは妙な人間で、江戸時代の若いとき…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「私は変な人間で、江戸時代から寄席の落語や人情噺よりも講談の修羅場の方が面白いってタイプで、商売柄にも似合わないってよく笑われてたんですよ。だから、明治の今流行ってる恋愛小説なんていうのは、どうもしっくりこなくて、なるべく歴史小説を探すようにしてるんです。渋柿園先生の書き方はなかなか難しいですけど、読み続けるとなんとかわかってきます。特に今読んでるのは『由井正雪』で、私にもよく知ってる人物だから、毎朝の楽しみに読ませていただいてます」
「あの正雪の絵馬ってどうなったんですかね?」
「正雪の絵馬……。どこにあるんですか?」
「堀ノ内です」
「堀ノ内のお祖師様から南西に向かったあたりですかね。半里くらい行ったところに和田村ってあって、そこに大宮八幡って神社があるんです。今はどうなってるかわかりませんが、総門から中門までの間は1丁くらい松並木が続いてて、すごく雰囲気のある神社でした。境内にも松や杉が茂ってて、夏なんかは蝉の声がうるさいくらいなんです。場所がちょっと離れてるから、普段はあまり参拝客もいないみたいですが、9月19日の大祭のときは近隣の参拝者が集まって、結構賑わってたそうです。その神社に古い絵馬が掛かってて、横幅が2尺4、5寸、縦が1尺3、4寸で、白い鷹が描かれてて、その横に慶安二二って書いてあるんです。慶安二二はつまり慶安四年で、由井正雪や丸橋忠弥たちが謀反を起こした年です。わざわざ四年と書かずに、二二って書いたのは単なる洒落なのか、それとも何か意味があるのか、それはよくわかりません。そもそもこの絵馬には奉納者の名前が書いてないので、誰が納めたものなのか昔から不明だったんですけど、慶安四年から60、70年後の享保年間に8代将軍が神社に参拝したことがあって、そのときにこの絵馬を見て、これは正雪の自筆だと言ったんだそうです。将軍はなんで正雪の書を知ってたのかわかりませんが、それ以来、この絵馬は由井正雪の奉納したものであるってことになるんです。そうわかれば、正雪は徳川家に反乱を起こした人ですから、その奉納した絵馬はすぐに捨ててしまいそうなものですが、その後もそのまま掛けられてあったみたいなので、果たして将軍がそんなことを言ったのかどうか、ちょっと怪しい気もしますが、とにかく江戸時代には正雪の絵馬として有名だったんです。私が見たのは江戸の末期で、慶安時代から200年くらい経ってたので、当然板の木目が浮き出てきて、すごく古風に見えました。さて、その絵馬にはこんな話があるんですよ。今でもいろんな神社に絵馬が掛けてありますが、昔は絵馬というのがものすごく流行ってて、江戸中に絵馬を専門に扱う絵馬屋という商売が何軒もあったんです。浅草の茅町の日高屋なんかは一番古いことで知られてました。今からするお話は、四谷の塩町にある大津屋って絵馬屋の一件で、これもかなり古いお店だったそうです」

原文 (会話文抽出)

「わたくしは妙な人間で、江戸時代の若いときから寄席の落語や人情話よりも講釈の修羅場の方がおもしろいという質で、商売柄にも似合わないとみんなに笑われたもんですよ。それですから、明治の此の頃流行の恋愛小説なんていうものは、何分わたくし共のお歯に合わないので、なるべく歴史小説をさがして読むことにしています。渋柿園先生の書き方はなかなかむずかしいんですが、読みつづけているとどうにか判ります。殊に今度の小説は『由井正雪』で、わたくし共にもお馴染の深いものですから、毎朝の楽しみにして読んでいます」
「あの正雪の絵馬はどうなりましたかね」
「正雪の絵馬……。どこにあるんですか」
「堀ノ内のそばです」
「堀ノ内のお祖師様から西南に当りますかね。半里あまりも行ったところに和田村、そこに大宮八幡というのがあります。今はどうなっているか知りませんが、総門から中門までのあいだ一丁あまりは大きい松並木が続いていて、すこぶる神さびたお社でした。社内にも松杉がおい茂っていて、夏なんぞは蝉の声がそうぞうしい位です。場所が少し偏寄っているので、ふだんはあまり参詣もないようですが、九月十九日の大祭のときには近郷近在から参詣人が群集して、なかなか繁昌したそうです。その社殿に一つの古い絵馬が懸けてありまして、絵馬は横幅が二尺四五寸、丈が一尺三四寸で、一羽の白い鷹をかき、そのそばに慶安二二と書いてあります。慶安二二は即ち慶安四年で、由井正雪、丸橋忠弥らが謀叛の年です。あからさまに四年と書かずに、わざと二二と書いたのは、二二が四という洒落に過ぎないのか、それとも何かの意味があるのか、それはよく判りません。 第一この絵馬には奉納主の名が書いてないので、誰が納めたものか昔から判らなかったんですが、その慶安四年から六七十年の後、享保年間に八代将軍が当社へ参詣なされたことがあるそうで、その時にこの絵馬を仰いで、これは正雪の自筆であるぞと云われた。将軍はどうして正雪の書画を知っていられたか知りませんが、その以来、この絵馬は由井正雪の奉納であるという事になったんだそうです。そう判ったらば、正雪は徳川家の謀叛人ですから、その奉納の絵馬なぞは早速取り捨ててしまいそうな筈ですが、その後もやはり其の儘に懸けられてあったのを見ると、将軍が果たしてそんなことを云ったかどうだか、ちっと怪しいようにも思われますが、ともかくも江戸時代には正雪の絵馬として名高いものでした。わたくしが見たのは江戸の末で、慶安当時から二百年も経っていましたから、自然に板の木目が高く出て、すこぶる古雅に見えました。さてその絵馬について、こんなお話があるんですよ。 こんにちでも諸方の神社に絵馬が懸けてありますが、むかしは絵馬というものがたいへんに流行したもので、江戸じゅうに絵馬専門の絵馬屋という商売が幾軒もありまして、浅草茅町の日高屋なぞは最も旧家として知られていました。これからお話をいたすのは、四谷塩町の大津屋という絵馬屋の一件で、これも相当に古い店だということでした」


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