岡本綺堂 『半七捕物帳』 「いや、焦れったいどころじゃあありません。…

GoogleのAI「Gemini」を使用して現代語化しました。


青空文庫図書カード: 岡本綺堂 『半七捕物帳』

現代語化

「マジ焦らせんじゃねえよ。もっと詳しく教えてよ」
「そんでないと、俺らサッパリわかんねえわけよ」
「そう言ってもらえりゃ、こっちも話しやすいってモンよ。今と昔じゃ全然違うんだから、そこんとこちゃんと理解してくれないと、話にならねえからな」
「で、この話しの舞台は江戸川なんだ。クソ遠い葛飾のじゃねえ、江戸の小石川と牛込の間を流れてる江戸川でさ。今じゃ堤に桜が並んでて、提灯とか雪洞とか飾り付けて、ちょっとした名所になっちまったらしいよ。俺も今年の春、初めてその夜桜を見に行ったけど、川には船が浮かんでて、岸には大勢の人がウロウロしてんのよ。そらもう賑やかさにビックリしたぜ。でも、江戸時代にはあそこら辺、全部が武家屋敷だったから、夜桜とかそんなん関係ねえ。日が落ちりゃ女一人じゃ歩けねえくらい寂しい場所だったんだ。そんで昔は川も今よりずっと深かった。船河原橋の下でせき止めてあったからだよ。なぜせき止めたかっていうとさ、昔は御留川になってて、そこで魚を獲ることは禁止だったから、鯉とかがすげえたくさん棲んでたんだよ。そいつらを保護するために水を溜めてたんだ。でも、全部せき止めたら、上流から流れ落ちてきた水が両方の岸から溢れちゃうから、せき止めるのは低く作って、水がそれを越えて神田川に流れ落ちるようになってた。それでもあれだけ長い川がせき止められて一気に落ちるんだから、水の音がすごいんだよ。昼も夜もずーっと『ドンドン』って音が響きっぱなしで、あそこを『どんど』って呼んでたんだ。『どんど橋』って絵図に書いてあるのもあるくらいだ。今だってそうだけど、昔は流れがもっと速くて、その『どんど』のあたりを『蚊帳ヶ淵』って言うんだ。昔、誰かの嫁さんが堤で蚊帳を洗ってたら、急流に蚊帳を攫われて、一緒に行方不明になっちゃったそうだよ。それでそこを『蚊帳ヶ淵』って怖がってたんだって」
「そんな話知らねえよ。でも、俺が子供の頃もあそこら辺『どんど』って呼んでた。山の手の奴らによく釣りに行ってたけど、鯉なんてほとんど釣れなかったな」
「それはあんたが下手くそだったからでしょ」
「最近まで結構デカイの釣れてたよ。まして江戸時代は殺生禁止の御留川だったんだから、デカイのがウジャウジャいたらしいぜ。特にこの川にいた鯉は『紫鯉』って言って、頭から尻尾まで濃い紫色してたんだって。俺も通りがかりに泳いでるのを見たことがあるんだけど、普通の鯉みたいに黒くなかったな。そんなふうに鯉がウヨウヨ泳いでるのを見てても、御留川だから誰も何もできねえ。でも、いつの時代にもずる賢い奴はいるもんで、禁止されてるってわかっててもこっそり獲りに行っちまうヤツがいるわけよ。この話もそこから始まったんだ」

原文 (会話文抽出)

「いや、焦れったいどころじゃあありません。なるたけ詳しく説明を加えていただきたいのです」
「それでないと、まったく私たちにはよく判らないことがありますから」
「お世辞にもそう云ってくだされば、わたくしの方でも話が仕よいというものです。まったく今と昔とは万事が違いますから、そこらの事情を先ず呑み込んで置いて下さらないと、お話が出来ませんよ」
「そこで、このお話の舞台は江戸川です。遠い葛飾の江戸川じゃあない、江戸の小石川と牛込のあいだを流れている江戸川で……。このごろは堤に桜を植え付けて、行灯をかけたり、雪洞をつけたりして、新小金井などという一つの名所になってしまいました。わたくしも今年の春はじめて、その夜桜を見物に行きましたが、川には船が出る、岸には大勢の人が押し合って歩いている。なるほど賑やかいので驚きました。しかし江戸時代には、あの辺はみな武家屋敷で、夜桜どころの話じゃあない、日が落ちると女一人などでは通れないくらいに寂しい所でした。それに昔はあの川が今よりもずっと深かった。というのは、船河原橋の下で堰き止めてあったからです。なぜ堰き止めたかというと、むかしは御留川となっていて、ここでは殺生禁断、網を入れることも釣りをすることもできないので、鯉のたぐいがたくさんに棲んでいる。その魚類を保護するために水をたくわえてあったのです。勿論、すっかり堰いてしまっては、上から落ちて来る水が両方の岸へ溢れ出しますから、堰は低く出来ていて、水はそれを越して神田川へ落ち込むようになっているが、なにしろあれだけの長い川が一旦ここで堰かれて落ちるのですから、水の音は夜も昼もはげしいので、あの辺を俗にどんどんと云っていました。水の音がどんどんと響くからどんどんというので、江戸の絵図には船河原橋と書かずにどんど橋と書いてあるのもある位です。今でもそうですが、むかしは猶さら流れが急で、どんどんのあたりを蚊帳ヶ淵とも云いました。いつの頃か知りませんが、ある家の嫁さんが堤を降りて蚊帳を洗っていると、急流にその蚊帳を攫って行かれるはずみに、嫁も一緒にころげ落ちて、蚊帳にまき込まれて死んでしまったというので、そのあたりを蚊帳ヶ淵と云って恐れていたんです」
「そんなことは知りませんが、わたし達が子どもの時分にもまだあの辺をどんどんと云っていて、山の手の者はよく釣りに行ったものです。しかし滅多に鯉なんぞは釣れませんでした」
「そりゃあ失礼ながら、あなたが下手だからでしょう」
「近年まではなかなか大きいのが釣れましたよ。まして江戸時代は前にも申したような次第で、殺生禁断の御留川になっていたんですから、魚は大きいのがたくさんいる。殊にこの川に棲んでいる鯉は紫鯉というので、頭から尾鰭までが濃い紫の色をしているというのが評判でした。わたくしも通りがかりにその泳いでいるのを二、三度見たことがありますが、普通の鯉のように黒くありませんでした。そういう鯉のたくさん泳いでいるのを見ていながら、御留川だから誰もどうすることも出来ない。しかしいつの代にも横着者は絶えないもので、その禁断を承知しながら時々に阿漕の平次をきめる奴がある。この話もそれから起ったのです」


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