業務連絡:このページはMS-Word2000で作成されています

(最終内容更新00/10/21 最終編集校正02/ 3/14 )

>>戻る

 

 

Affirmative Actionは

機会の平等に一致するか

京大全学共通,2000通年,政治学基礎論-前

 

 

[本文]

第一章:はじめに

第二章:A.A.は機会の平等に一致するか否か

第三章:結論

参考文献・サイト

* * *

下調べサイト一覧

 

 

第1章 はじめに

 

  米国で行われている Affirmative Action (積極的差別是正措置:以降、A.A.と略す)が機会の平等に一致するかどうかについて私なりの意見を述べたい。私は日本人であり、米国を訪れたこともない。しかし、それゆえに第三者的立場でこの論点について考えることができるように思う。

 

1.1) A.Aの定義

  A.A. の定義は吉岡〔1:参考ウェブページ番号〕によると、

  女性やマイノリティーの登用増進を、特に雇用・教育面で奨励すること

である。その実行手段は、その強弱により吉岡〔1〕によると、(1)強い優遇措置によるAAP

(Affirmative Action プログラム)----人口統計のみで判断する(クウォーター制)、(2)中程度の優遇措置によるAAP----人口統計とメリット(個人の能力)両方で判断する、(3)弱い優遇措置によるAAP----適性が同じ場合はマイノリティーを、異なる場合は適性が高い方を選ぶ、に分かれ、 現在主流となっているのは(2)、(3)である。

 

1.2) 前提

  ここでは、マイノリティーを黒人男性、その反対要素を白人男性とする。レポートの中では単に黒人、白人の呼称する。黒人、白人の先天的な個々の能力ごとの平均は等しいものとする。女性について論に含めないのは、男性と女性では先天的な個々の能力ごとの平均が等しくないからである(能力については 2.3.1 を参照)。また、黒人も幾種類に別れ、なかには比較的裕福な層、社会的地位の高い層もあり、逆に白人にも貧しい層があるが、平均的な黒人、白人を考え、経済力が白人より黒人のほうが弱いものとする。

  既に記した部分からも A.A. の制度的問題点が浮かび上がるが、本レポートではそれら制度的な不備は考えない。

 

第2章 A.A.は機会の平等に一致するか否か

 

2.1) 機会の平等の位置

  私は機会の平等を次の関係で考える。ただし、[前提・仮定→結果]である。

      i)能力の平均の均等 → ii)機会の平等 → iii)登用の均等

A.A. はiii)に関し黒人に優遇を与えるものである。

 

2.2) 短期的視点での意見

  iii)はii)の結果であり、iii)の達成だけで真の機会の平等が生まれるとは考えにくい。生まれるのは裏付[= i)]のない機会の平等であり、脆弱なものである。

 

2.3) 長期的視点での意見

  A.A. が長期的に機会の平等を達成するかどうか、あるいは自然と(A.A.を施さなくても)達成される機会の平等を A.A. がそれより短い時間で達成する手段となるかどうか、考える。

  A.A. が機会の平等の達成を促進するならば、iii)からi)へのつながりができればよい。

 

  2.3.1) 能力と、能力の程度の継承性

  ここで、能力について考える。個人の能力を次のようにモデル化する。

  まず、個人の能力は大きく二種類に分ける。一つは「純然たる能力」、もう一つは「他者の先入観の善し悪し」である。「純然たる能力」にはさまざまな種類があるが、それぞれの能力は「それぞれの能力に対する先天的性質」、「それぞれの能力習得のための努力」、「それぞれの能力習得のための教育法」の関数であると考える。

  「それぞれの能力習得のための努力」は、「個人の趣向」、「家庭の経済力」の関数である「努力振り向けの係数」 をkとして、k×「総努力量」であらわされると考える。また「それぞれの能力習得のための教育法」は「それぞれの能力の家族の習得度」、「家庭の経済力」、「ある段階での能力」(つまり、どのレベルの教育機関に属するかということ)の関数だと考える。さらに、「家庭の経済力」は「家族の能力の総和」、「家族の努力の総和」、「前世代の経済力」の関数だと考える。

  「家庭の経済力」、「それぞれの能力の家族の習得度」は能力の程度を世代間に継承させる原因となる。そして、個人についても能力は生きている限り受け継がれ、また「ある段階での能力」も過去の個人のものであり、能力の程度には継承性があると言える。

 

  2.3.2) A.A. が機会平等の達成を促進させるための条件

  まず、「他者の先入観の善し悪し」の均等は A.A. の役目ではなく、別の手段が必要であろう。なお、 A.A. は先入観の善し悪しの均等の達成を阻む性質がある。これは、優遇されないもの(白人)が優遇されたもの(黒人)をねたむのは、当然の心理だからだ。経済力を白人、黒人均等にすることは能力の均等のための道だが、そのために重要な雇用について、その選抜において選ぶ側が現実として平均して白人の方が多い状況のなか、このことは黒人に不利にはたらく。

  さて、[iii)登用の均等→i)能力の平均の均等]は、能力程度の継承性から考え、長期的に、つまり徐々に機会平等の状態にしていくことが可能であり、そのためには「優遇により登用された個人の能力の伸びが、登用されなかった個人のそれより大きい」ことが必要不可欠の条件である。

 

  2.3.3) 条件はみたされるか

  A.A. での優遇は「ある段階での能力」をより甘く評価することである。先の条件を具体的にすると、「自分の能力を超えた教育機関での学習は、自分の能力にあった教育機関でのそれよりも能力を増やすことができる」ということである。

  ここで、実例を挙げる。Thomas Sowell〔2〕によれば、A.A.の行われた1980年代、カリフォルニア大学バークレー校の黒人学生の数は急激に増えたのだが、卒業生の数は減った、とのことである。

  一例に過ぎないが、A.A.が先の条件を満たしえないことはいえよう。

 

第3章 結論

 

  以上により、「A.A.は機会の平等に反するものである」と、結論づける。

 

 

参考ウェブぺージ一覧

 

1〕吉岡亮子『AFFIRMATIVE ACTIONは人種差別を無くすことができるのか?-AA再考-』(2000),

http://chu-shiba.kwansei.ac.jp/okamoto-seminar/paper/2000/yoshioka2000.html wayback

(2000. 8.10確認)

2〕Thomas Sowell:“Body Count Versus Education"(1997),

http://www.townhall.com/thcc/content/sowell/sowe071197.html

(2000. 8.19確認)

 

 

                                                                     <以 上>

 

[TOPに戻る]


Copyright(c) 2000 TAKAGI-1   All Rights Reserved.