「大国高民論」(たいこくこうみんろん)とは、知的側面を強化した国民多数をもって大国を形成しようとする思想です。
2011年 9月 2日
2009年の元日に、私は 大国高民論 を書きました。それから、2年半が過ぎましたが、大国高民論は、いまだに私自身を形成する精神的な柱の一つとして健在です。
現在、知的ネット社会の形成活動を、私は大国高民論の上に載るものと捉え、実施しています。
しかし、2009年に書いた論は本文の内容が少なく、柱として頑丈ではないものでした。その上に思想やそれに基づく活動を載せるには、不安定、すなわち、その文章だけでは根拠が不明確になっていました。
そこで、今回、「大国高民論」を明確にすべく、再び書き表すことにしました。2年半のうちに考えたことを受けて、内容の見直しも行いました。
「大国高民論」の目的は、我が国を大国であらせる(:我が国が大国であるようにする)ことです。
その背景には、我が国は大国であるべきである、という思想があります。
『なぜ「我が国は大国であるべき」か』、その理由を以下に挙げます。
大国でなければ脅威と対抗できません。
大国でなければ他の大国と真に連合できません。Giveできなければ、Give & Take の関係は築けないのです。
大国でなければ、影響を世界に対し効果的に発揮できません。
大国であることは、国の独立を意味します。
「大国公民論」の概括的な考え方(コンセプト)は、
我が国を知的大国にすることによって、我が国を大国であらせる
ということです。
すなわち、『いかにして「我が国を大国であらせる」か』という課題に対して、「我が国を知的大国にする」という挑み方(アプローチ)をします。
我が国は既に、知的大国の実現に活かせる 以下の資産をもっています。
(1) 人口の多さ ―― 我が国の人口は、英国の2倍です
(2) 充実した情報インフラ
(3) 言論・表現の自由 ―― 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(日本国憲法 第21条 1項)
(2)、(3)が、知的大国の実現に活かせることは、明白です。
(1)について、説明します。
「人が集まり、人が会えば「情報の掛け算」が起こる」(三戸 裕子 : 定刻発車 ―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?― (新潮文庫, 2005) p.133.)。
また、メトカーフの法則によれば、「通信網の価値は利用者数の二乗に比例する。」(メトカーフの法則 - Wikipedia [2011年4月21日 (木) 07:19 の版] )。
したがって、我が国において人口が多く、人口密集地が連続していることは、知的大国の実現にとても有利にはたらきます。
なお、これから我が国の人口は減少すると考えられています。これは、実現された知的大国にとって不利な状況です。
しかし、この状況は、知的大国の実現の推進力になり得ます。言い換えると、我が国が知的大国の実現に針路をとるために乗り越えなければならない障壁は比較的低いということです。なぜならば、人口1乗比例の労働集約型産業(人海戦術的産業)から、人口2乗比例の知的産業への転換は、人口の有効活用になるからです。
知的大国を実現するためには、前項で示した我が国がもつ資産だけでは不足であり、「知的制高面」を構築することが必要です。そして、これを構築した後、 普及 ・ 維持 ・ 有効性の継続的な改善 をしていくことが必要です。
「知的制高面」とは、知的側面を強化した国民多数によって構成されるネットワークを指します。すなわち、「知的制高面」の構築とは、国民がもつ知的側面の強化と、国民同士のネットワークの構築を意味します。
「知的制高面」の構築(そして、普及・維持・有効性の継続的な改善)には、なるべく多くの人がそれに意志を向けて、小さな活動を積み重ねていく方法が、現実的です。
なお、「制高面」とは、以下の意味をもとに造った複合語です。
制高:
知的側面の強化を意味します。古より、高地を取得することは、情報を分かりやすい形で得られる状態になることを意味しました。古において制高を得るために取得するものが自然物であったのに対して、ここでは、人の意志と行動によって「構築」しようとしています。
面:
多数の国民によって構成されるネットワークを意味します。
国民によるネットワーク=「面」は、国民同士の鎖=「線」 や 単独の国民=「点」 に対して優位です。なぜならば、メトカーフの法則がはたらき、また個々の国民が孤立しないからです。
すなわち、知らないことは恥じなければならない。さらに付け加えるならば、知らないことを知らないままにすることは、もっと恥じなければならない。
反知性主義は、「知識や知識人に対する敵意」を指し、「転じて国家権力によって意図的に国民が無知蒙昧となる様に仕向ける政策の事」を指します (反知性主義 - Wikipedia [2011年4月22日 (金) 12:26 の版] )。
我が国においては、「国民が無知蒙昧となる様に仕向ける」ものとして、「国家権力」だけではなく、集団の「空気」や意思も考える必要があると考えます。
福沢諭吉は、『学問のすすめ』に「一身独立して一国独立する事」と書きました。「一身の"独立"」("孤立"ではない)には、国民個人が、
「国家は自然なものではない」(水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.108.)のであり、。国の独立が盤石であることは、大国を実現する大きな助けになります。
我が国は大国高民論のみによって形成されるべきでありません。
それは、学術的な用語である「ノーフリーランチ定理」によって一言で表せます。
ノーフリーランチ定理は、『「あらゆる問題で性能の良い汎用最適化戦略は理論上不可能...」ということを立証している(Ho and Pepyne、2002年)』(ノーフリーランチ定理 - Wikipedia [2010年12月23日 (木) 13:44 の版])。すなわち、大国高民論は万能ではありません。
あるものが存続するためには、自己革新が必要であり、自己革新を進行させる意識は自己批判として顕れます。
ノーフリーランチ定理は、自己批判を継続的に実施するために有効な、何度でも使える発火点のような言葉であり思想です。
我が国に有益だと私が信じる大国高民論、および大国高民論を取り入れた我が国の存続性を高めるために、ノーフリーランチ定理の意識を持ち続けることが重要です。
代表的な活動領域を3つ示し、各々で活動されるべき項目の例を示します。
例:
理性的で、自由な社会を形成する。
例えば、理性によらない思想が主流になることや、理性によらない決定が行われることに、継続的に反対する。理性によらないものの特徴の一つには、物事には様々な側面があるという事実を意識していないことがある。
例えば、自分または他者の思考行為・思想行為を制限するもの、その他の行為を不合理に制限するものに、継続的に反対する。他者の思考行為・思想行為を制限しない。他者のその他の行為を不合理に制限しない。
知的行為を行うこと、知的成果を広めること、知的成果を活用することを高く評価する。
議論や社会的意志決定に関する技術の向上を図り、意識的に共有する。
知的行為を行う際の障壁(:必要なコスト)を下げる。たとえば、知識や意見・提案(および、それを構成する論理)の目録(カタログ)を、利用しやすく検索可能な形態(まとめサイトなど)で充実させる。
例:
効率的な 意思伝達 ・ 意思共有 ・ 意思決定 の手法を模索し、実施する (たとえば、文章・図表・プレゼンテーションの改良。動画・3次元表現の導入。会議の改良)。
例:
自分自身、あるいは他者の知的側面を強化する。
書く ・ 公開する ・ 褒める を基本行動とする。
ネットワークの形成を志向する。個人間のネットワークの形成は、個人が入手する情報の多様化をもたらす。また、個人が出力する情報の価値が向上する。これは、読まれる回数が多くなることや、読み手の存在を意識して書き手である個人が多様な検討を行うことによる。
自由に思考し、理性に基づき行動する。
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