空を
リリエンタール | シャニュート | ラングレー | ライト兄弟 | ||
名前 | オットー・リリエンタール | オクターブ・シャニュート | サミュエル・ピアポント・ラングレー | 兄 ウィルバー・ライト 弟 オービル・ライト | |
生まれた年〜亡くなった年 | 1848年〜1896年 (48歳、実験中の | 1832年〜1910年 (78歳) | 1834年〜1906 年 (71歳) | 兄 1867年〜1912年 (45歳)、弟 1871年〜1948年 (76歳) | |
お仕事 | |||||
有人グライダー・有人飛行機 |
|
||||
書いた本や | |||||
その他 | 当時の主要な飛行機研究者のほぼ全員と連絡を取り合う。 航空学の専門用語を定め、広めた。 | スミソニアン学術協会の長官(1887年〜) | |||
ライト兄弟とのつながり | グライダー実験中の墜落による死去(1896年)が、ウィルバー・ライトに有人飛行機の開発を決心させた。 | ライト兄弟と深い親交をもち、たとえば1900年5月から1901年10月までに少なくとも53通の手紙のやりとりをしている。 西部技術者協会の会議にウィルバー・ライトによる講演会(1901年)を設定した。 | ライト兄弟は、ラングレーが長官を務めるスミソニアン学術協会から文献リストを入手した。対応したのは、リチャード・ラスバン副長官である(1899年)。 |
1903年12月17日のライト兄弟「ライトフライヤー」号による人類初の有人動力飛行を撮った写真。 沿岸警備隊員ジョン・T・ダニエルズにより撮影された。 |
参考文献
公開開始: 「しくみの発達博物館」用 2013/11/23
初版 2013/ 2/10