知的ネット社会 TAKAGI-1 みくすと 火曜版

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2011/01/04

 

 

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そして、スーパーはくとはかっこいいだけではなく、乗っていて非常に雰囲気の良い電車でした。その理由の1つは...乗客の多様性?です。出張のビジネスマンあり、帰省の親子連れあり、温泉客グループあり、通勤・通学の人あり、病院に通うお年寄りあり、と乗客が多様性に満ちていたのです。

 それを見ていて、「これ、新幹線とすごい違うなあ」と思いました。  年末年始やお盆など特殊な時期を除き、東京〜新大阪間の「のぞみ」に乗っているお客の...画一性?といったら驚くほどです。

しかし、反対にこうも思いました。「でも、顧客が画一的であった方が、きっともうかるんだな」と。これ実はたいていのビジネスにおいて、そうなのだと思います。

スーパーはくとに乗った時、その心地よさから、瞬間的にいつも乗っているのぞみを思い出して気が付きました。「画一的なモノってすごい醜いんだ」「気持ち悪いんだ」と。

 「似たような人を引きつける」のはもうけるための基本なのでしょうが、最近は「同じような客しかいない場所」を「気持ち悪っ」と感じるようになりました。雑誌から抜け出してきたようなおしゃれな人だけが集まるバーも、反対に生活に疲れた人ばっかりの一杯飲み屋も、どっちも不気味です。

 「多様性を捨てること」「効率的であろうとし、画一性をとことん追求すること」で、私たちが失っているものは何なのでしょう? それが良いとか悪いとかではなく、「何を失っても良いと決めたのか」「画一性のために犠牲にされたものは何なのか」ということ自体が意識されていない。そのことに不安を感じます。

 確かにビジネスは画一性を追求すれば効率が良くなり、利益率が上がるかもしれません。でも、文化や芸術、自由な人間性の発露など、画一的な世界からは絶対に生まれないものもあります。

 そしてビジネスの現場であっても、「同じものを大量に生産する」には効率が大事でしょうが、画期的でクリエイティブな商品アイデアを生み出すためには、画一性より多様性が大事になるはずです。自分がほかの人とは違う、ということ。みんながみんな同じではない、ということ。同じである必要もない、ということ。同じでないことを各人が自由に表現できる、ということ。そういう環境からしか生まれないものもたくさんあるはずなのです。


[ Posted Thu, 30 Dec 2010 21:58:43 ]

Business Media 誠:ちきりんの...社会派?で行こう!:「スーパーはくと」と「のぞみ」の違いとは?――...画一性?の醜さ (1/3)


 


この「問いを言葉にする」ということを怠ると、どうなるかということを指摘しておきたい。

 とたんに同じような思考が”言葉をつかわない合図”のほうに向かっていって、いわゆるオカルト思考になっていく。「言葉にしないですむ合図」に引き寄せられていくからだ。これは危ない。あくまでも「問い」は一回ずつ言葉になるべきなのである。


[ Posted Fri, 31 Dec 2010 13:03:49 ]

松岡正剛の千夜千冊『シャーロック・ホームズの記号論』トマス・シービオク&ジーン・ユミカー=シービオク

Tagged with: チ・知的生産をする


 


人間の思考プロセスと行動形式は、まったく無から作り上げられることはなく、クラスを継承する形をとる。世界が複雑になるにつれ継承するクラスは一つでは済まなくなる。ニューアカな人たちの活動は、思考のクラスを再定義する試みだったように感じる。学際的な知識を統一的に扱う上位のクラスを発見し、そのインスタンスとして思想を語る。

しかし、suikyoさんがbehind the counterで指摘するように、Web2.0の発生を境に知というものが明らかに変わった。それとシンクロするように、優れた人が持つべき資質も変わってきた。必要なのはクエリとインデクスであり、適切なクエリを設定できる人やインデクスを高速に処理できる人が優れた人になった。疎結合可能なAPIを持っている人が使える人になった。入力ごとにクラスを持つタイプの天才は、「すべてがWebになる」世界ではプレゼンスを持たない。


[ Posted Fri, 31 Dec 2010 13:08:09 ]

森博嗣的な天才の終わり - END_OF_SCAN

API になればいいのさ。


 

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