戦後の大戦観には、陸軍の存在が大いに抜け落ちている。 例えば、広島への原爆投下を、なぜ呉でなく広島なのかという人がいる。
しかし、広島は、陸軍第2総軍の司令部所在地である。第2総軍は、連合国軍が上陸をもくろむ 九州を守備範囲とする。しかも、3つしかない総軍(:陸軍の最高編成単位)の1つである。 対して、呉軍港をもつ海軍は、既に聯合艦隊を失い(レイテ沖海戦, 1944年10月)、 戦艦「大和」を失っていた(菊水一号作戦, 1945年 4月) 。 呉に比べて広島が無為な目標であるとは全く言えないのである。 ● 陸軍による戦略持久・航空思想 海軍の大艦巨砲主義に対して、陸軍は白刃突撃主義であり、万歳突撃を繰り返していた感がある。 しかし、戦略持久・航空決戦思想も存在し、戦中、これらの思想は確実に優位になっていったのである。 ○ 戦略持久 これは支那事変であるが、中国戦線において陸軍は、1938年12月から戦略持久を経験している *1。 アジア戦線において陸軍は、1942年、戦略持久を意図している *2。 ペリリュー島・硫黄島・沖縄の戦いが、戦略持久が実施された戦いとして知られている。 ○ 航空思想 東條 英機 陸軍大将 は、陸軍航空総監・陸軍航空本部長の経歴があり、航空に関して理解があった。 1944年、航空決戦至上主義は大本営において支配的であった *3。 ____________________ 脚注: *1 : 子安 宣邦 : 「近代の超克」とは何か (青土社, 2008) p.107. http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2113.html >ちなみに日本の陸軍中央部が進攻作戦を打ち切り、戦略的持久に切り換えたのはその年 >[:1938年]の一二月六日である。 *2 : 戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 : 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫, 1991) pp.321-322. http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1736.html >昭和一七年[:1942年]三月七日の大本営政府連絡会議で決定された「今後採るべき戦争指導の大綱」 >は、...。(中略) 海軍側が従来からの主張である戦果の拡大と積極攻撃による先制攻撃を主張した >のに対し、陸軍は南方資源の確保によって長期持久戦の態勢を確立しようとした、そのまさに >妥協的折衷案がこれであった。東条首相は、「これでは意味が通らぬではないか」と不満を >もらしたという。 *3 : 戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 : 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫, 1991) p.224. http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1736.html >当時 [:1944年] の大本営の対米作戦構想の基本は航空決戦至上主義であり、