私が考える「大国高民論」の実施には二つの柱がある。 一つ目の柱は、国民の情報処理能力を高めることである。
二つ目の柱は、国民が、知を生産し、残すことを推進することである。一言でいえば、 「本を書かせる」ということである。 そこで気づいたのだが、これは現在のインターネット社会における現象に似ていないか。 つまり、メディアや学術機関が、自らの価値を高めるために、さまざまなアーカイブを 作成し、ネット上に公開している。しかし、これが結局のところ、グーグルの価値を 高めることになっている。 この現象から類推すると、「本を書かせる」ということは、情報の扱いに長けた人間の 価値をより高めるということにつながるのだ。 結局、私の「大国高民論」の展開によって生じる結果は、賢い人間の価値をより高める ことなのかもしれない。これは私を望んでいた世界である。私は、賢い人間達による 支配下に入る、あるいは賢い人間達の共同体に属することを望んだ。例えば、 スタンフォード大学出身の博士によって構成されるグーグルによるインターネットおよび 世界の統治を、好ましいと考えている。 関連: 大国高民論 http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2400.html