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▼「大国高民論」は、私がもつ欲の一つの表現なのかもしれない

私が考える「大国高民論」の実施には二つの柱がある。
 
一つ目の柱は、国民の情報処理能力を高めることである。
二つ目の柱は、国民が、知を生産し、残すことを推進することである。一言でいえば、
「本を書かせる」ということである。
 
そこで気づいたのだが、これは現在のインターネット社会における現象に似ていないか。
つまり、メディアや学術機関が、自らの価値を高めるために、さまざまなアーカイブを
作成し、ネット上に公開している。しかし、これが結局のところ、グーグルの価値を
高めることになっている。
 
この現象から類推すると、「本を書かせる」ということは、情報の扱いに長けた人間の
価値をより高めるということにつながるのだ。
 
結局、私の「大国高民論」の展開によって生じる結果は、賢い人間の価値をより高める
ことなのかもしれない。これは私を望んでいた世界である。私は、賢い人間達による
支配下に入る、あるいは賢い人間達の共同体に属することを望んだ。例えば、
スタンフォード大学出身の博士によって構成されるグーグルによるインターネットおよび
世界の統治を、好ましいと考えている。
 
関連:
大国高民論
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