(この文章は、技術の地位が科学のそれと同等であるという考えのもとに書いています) 科学 ↓ 技術 ↓ 人工物
ではない。 人工物⇔技術⇔科学⇔自然世界 なのであって、世の中をよくする人工物を中心に捉えれば、 人工物 ↓ ├─→技術 ↓ ↓ 技術 科学 ↓ ↓ ├←─技術 ↓ 人工物 なのだ。 以下、理由。 ● (少なくとも古典的には)技術が科学の土壌になる ヘンリー・ペトロスキー=著, 中島 秀人・綾野 博之=訳 : 橋はなぜ落ちたのか ―設計の失敗学 (朝日選書, 2001) p.110. http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1730.html > 数学者や科学者達が必ずしも思い出したがらない事実だが、技術の相当数は >まず成功した後にその理論的理解が生まれたのである。もちろん古典的な例は >蒸気機関であり、熱力学の工学が成立するはるか以前にそれは発明され、高度の >信頼性にまで発展した。実際、動く蒸気機関という人工物自体が、その動作に >ついての理論を呼び起こしたのである。 ● 技術者は人工物に挑戦する 以下の引用の工学者は、技術者に読み替えることができるはずだ。 ヘンリー・ペトロスキー=著, 中島 秀人・綾野 博之=訳 : 橋はなぜ落ちたのか ―設計の失敗学 (朝日選書, 2001) p.110. >実際、自然世界が自然科学者や物理学者に挑戦し続けてきたのと同様に、人の手で >設計された常に進歩する人工物の世界は、いつも工学者に挑戦し続けることを >期待されてきたとまでいうことができるだろう。 関連: 第1種基礎研究の出力は著作権によって守られ、第2種基礎研究の出力は特許によって守られる http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-192.html ● 技術者も意義のある文章を遺せる 関連: 技術者の書き物 http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-1825.html ● 二又部分について 技術は、1次要因による相関を好む。 よって、技術の成果は漸進的である。人工物の跳躍を狙うと、高次で影響を与える 2次要因の影響が支配的になり(:いままで2次要因であったものが1次要因となり)、失敗する。 また、1次要因の入れ替わりを検出するため、弛まぬ人工物史の観察と技術内容の 発展が必要である。 科学は、2つ以上要因による相関を厭わない。 よって、成果の跳躍が可能である。しかし、それ故、その人工物に関わる仕事はすぐに なくなり、人工物史の継続的な観察ができない。