無窮ナレッジ

▼京都大学総長 卒業式式辞

http://www.adm.kyoto-u.ac.jp/uni_int/01_sou/s_sotsu04.htm 
>みなさんが母校を訪れるときのために、この京都大学のキャンパスを、
>しっかりと維持していきたいと思います。
 
>いうまでもなく、大学は知を蓄積し、発展させていく場所です。
 
>どんな場合であっても、知だけは忘れないということが大切です。
 
>卒業式にあたり、私が、みなさんに申し上げたいことがあります。
 
> 第1は文化を大切にするということであります。
 
  >国家財政の危機に際して、大学がなんら関与しないということは、もちろん
  >できません。むしろ大学の蓄えた知を活用して、その危機を乗り越えるために
  >貢献することが必要であります。
 
  >国が栄えたとき、そこには必ず優れた大学があったと言われるように、
  >大学はその国の文化を支える聖域であります。その聖域を区別しないような
  >改革は、文化を支える大学をだめにしてしまうおそれがあります。
 
  > 大学は文化を守る役割を持っています。
 
>第2は、人に優しい人であるということです。
 
  >副学長である、東山先生の著書に、「われわれはしゃべりすぎたという反省は
  >よくしますが、聞きすぎたという反省はほとんどしません。」という文が出て
  >きます。これは、情報の発信者と受信者を比べたとき、情報を発信した方が
  >情報をコントロールしているように、見えるかもしれませんが、実は受信する
  >方こそ、情報を本当にコントロールしているのだという原理から来る文であります。
 
  >先進国の中で、日本は公務員の少ない国であり、国民総生産に比べて教育費の
  >支出が目立って少ない国であります。
 
>第3は、法を守るということです。
 
以上は、抜き出した文であるが、全文を読むと、現在の潮流への批判・苦言などが
目立ち、卒業式式辞にしては過激である。
 
悪く言えば、自己主張のために式辞を使ったともいえる。
良く言えば、強い意志をもった方である。
 
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