http://www.adm.kyoto-u.ac.jp/uni_int/01_sou/s_sotsu04.htm
>みなさんが母校を訪れるときのために、この京都大学のキャンパスを、 >しっかりと維持していきたいと思います。 >いうまでもなく、大学は知を蓄積し、発展させていく場所です。 >どんな場合であっても、知だけは忘れないということが大切です。 >卒業式にあたり、私が、みなさんに申し上げたいことがあります。 > 第1は文化を大切にするということであります。 >国家財政の危機に際して、大学がなんら関与しないということは、もちろん >できません。むしろ大学の蓄えた知を活用して、その危機を乗り越えるために >貢献することが必要であります。 >国が栄えたとき、そこには必ず優れた大学があったと言われるように、 >大学はその国の文化を支える聖域であります。その聖域を区別しないような >改革は、文化を支える大学をだめにしてしまうおそれがあります。 > 大学は文化を守る役割を持っています。 >第2は、人に優しい人であるということです。 >副学長である、東山先生の著書に、「われわれはしゃべりすぎたという反省は >よくしますが、聞きすぎたという反省はほとんどしません。」という文が出て >きます。これは、情報の発信者と受信者を比べたとき、情報を発信した方が >情報をコントロールしているように、見えるかもしれませんが、実は受信する >方こそ、情報を本当にコントロールしているのだという原理から来る文であります。 >先進国の中で、日本は公務員の少ない国であり、国民総生産に比べて教育費の >支出が目立って少ない国であります。 >第3は、法を守るということです。 以上は、抜き出した文であるが、全文を読むと、現在の潮流への批判・苦言などが 目立ち、卒業式式辞にしては過激である。 悪く言えば、自己主張のために式辞を使ったともいえる。 良く言えば、強い意志をもった方である。 関連: ロザン宇治原も卒業 サルの着ぐるみ程度じゃダメダメ http://www.sanspo.com/geino/top/gt200403/gt2004032511.html