人による人の絶滅、マオリ族によるモリオリ族の絶滅

ジャレド・ダイアモンド=著, 倉骨 彰=訳 : 銃・病原菌・鉄 (上) (草思社文庫, 2012) pp.95-96.

 一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や棍棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。

 しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。モリオリ族の生き残りは、そのときの様子をこう話している。「(マオリ族は)我々をまるで羊みたいに殺しはじめました。……(われわれは)恐れ、藪に逃げ込み、敵から逃れるために地べたの穴の中やいろいろな場所に身を隠しました。しかし、まったくだめでした。彼らはわれわれを見つけては、男も女も子供もみさかいなく殺したのです」。