ワンオフな時代と私の思索の対象

現在は、ワンオフな時代である。

過去の知識は急速に通用しなくなり、道具の進歩は極めて速い。西暦 1000年に生まれた人と西暦 1020年に生まれた人の人生はほぼ同じだっただろうが、西暦 1970年に生まれた人と西暦 1990年に生まれた人の人生は全く異なるだろう。

よって、世代という視点だけでも、世界は、複雑化している。

この複雑化を、スケールメリットをもった大きなまとまりを維持しながら、うまく活かす国(ただし、国だけ限らない)が栄え、生き残る。そして、それができない国は没落する。そして、没落した国の国民からは、安全・安心が奪われるだろう。

これまでは、国民の代表者(政治においても、経済活動においても)が、国民の意志を代弁し得ていた。しかし、ワンオフな時代には、国民の代表者は、国民の意志をカバーし得ない。国民の代表者が送った人生は、その20年後に生まれた人が送る人生を近似しない。国民の代表者が自分の20年前に何を考えていたのか思い出しても、それは、その20年後に生まれた人が今考えていることを近似しない。

今までどおりの〈国民の代表者〉制度による意思決定では、大きな検討漏れが生じる。今までどおりでは、世界の複雑化を活かせず、国は没落する。

そこで考えなければならない事柄が、「権力を分散して物事を進めるシステム」である。そして、それが「非常に貴重なもの」であることに留意しなければならない。

権力を分散して物事を進めるシステムっていうのは、非常に貴重なものであって大事にしていかなきゃいけないものと思う。
――権力を分散して物事を進める仕組み – アンカテ 抜粋

「非常に貴重なもの」であるということは、新たなものを創造してもそれがうまく機能する確率が非常に低いということだ。しかも、これは、現在の問題の現実の問題である。大きな失敗は許されない。急進を採用できないのである。

「非常に貴重な」「権力を分散して物事を進めるシステム」を現実的に改良し、世界の複雑化を活かせるシステムにすること――現在の私の思索の対象である以下を、まとめて表現するならば、これである。

「空気」を排した首脳部の図から見いだせる国民の役割

国民の防衛政策への関与

「空気」を排した首脳部として、以下の図を挙げた:

[首脳部の他の構成員]
  ↑
共感しない
  ↓
[首脳部構成員]━━━━━━━━━━━━━━━━━━共感━━[他国首脳部・他国国民]
確率・統計への正確な認識  論理的な明晰さ  知識
┃   ┃
┃   ┃ *1 政治的に国民の代表である首脳部構成員は、国民と共感すべきである。
共感 共感
┃   ┃ *2 特定の国民との共感に支配されず、また共感していない大部分の国民の意思を
┃   ┃ 考慮するため、確率・統計への正確な認識が重要である。
┃   ┃
[国民] [国民] [国民] [国民] [国民]

この図から、国民に、以下の役割を見いだせる:

(1) 首脳部構成員の用に立つ集合知を生産すること。

集合知が成立するためには、国民の意見が多様でなければいけない。そして、それ以前の前提として、国民は、無知・短慮・漫慮ではいけない。

スコット・ペイジ=著, 水谷 淳=訳: 「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき (日経BP社, 2009) p.211.

 これら四条件――(1)問題が難しくなければならない。(2)人々が賢くなければならない。(3)人々が多様でなければならない。(4)大きな母集団からある程度の大きさのグループを選ばなければならない――は、多様性が能力に勝るための十分条件である。この結果が成り立つために必要な条件というだけでなく、これらが満たされれば多様性は能力に勝るのである。

 多様性が能力に勝る定理: 条件1から4が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。

この定理は単なる比喩でもないし、…。論理的な真理なのだ。 [太字は、ブログ記事著者による]

スコット・ペイジ=著, 水谷 淳=訳: 「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき (日経BP社, 2009) p.425.

 民主制が機能するには、人々が適度に正確で多様なモデルを持たなければならない。 [太字は、ブログ記事著者による]

(2) 首脳部構成員の論理的・知識的水準が高く担保されるよう、国民自身も確率・統計への正確な認識、論理的な明晰さ、知識の水準を高くもつこと。

首脳部構成員は、首脳部の他の構成員との間で切磋琢磨することはもちろんのこと、国民の間で切磋琢磨されて、その論理的・知識的水準が高く担保される。

そのためには、国民は、確率・統計への正確な認識、論理的な明晰さ、知識の水準を高くもたねばならない。国民のこれらの水準が高ければ高いほど、首脳部構成員の水準も高くなる。

(3) 累積性を実現すること。

上図では、国民どうしが分散しているが、知識を国民全体として累積させ、各々の国民が利用できるようにしなければならない。

国民の防衛政策への関与

「空気」を排した首脳部

国民の防衛政策への関与

大東亜戦争の開戦にあたり、我が国首脳部を「空気」が支配したことが知られている(山本 七平「「空気」の研究」猪瀬 直樹「空気と戦争」)。「空気」の支配を排した、防衛政策決定の仕組みを考えてみる。

「空気」の本質は、感情移入(共感)である。感情移入状態では、個別と一般の確率を同じだと認識してしまう非論理に陥りやすい。感情移入は、「AならばB」ならば「BならばA」だと誤って結論する、人間の性質である刺激等価性の働きに依るものであり、即ちその機序(メカニズム)そのものも非論理である。

よって、首脳部において「空気」の支配を排するためには、首脳部構成員は、共感を排し、確率・統計について正確に認識し、「AならばB」と「BならばA」を区別できるよう論理的に明晰でなければならない。

共感を排することについて詳しく書くと、首脳部構成員は、首脳部の他の構成員との共感を排しなければならない。

首脳部構成員は、他国首脳部・他国国民に対して、共感、すなわち思考を読まなければならない。

また、政治的に国民の代表である首脳部構成員は、国民と共感すべきである。

図にすると、以下になる:

[首脳部の他の構成員]
  ↑
共感しない
  ↓
[首脳部構成員]━━━━━━━━━━━━━━━━━━共感━━[他国首脳部・他国国民]
確率・統計への正確な認識  論理的な明晰さ  知識
┃   ┃
┃   ┃ *1 政治的に国民の代表である首脳部構成員は、国民と共感すべきである。
共感 共感
┃   ┃ *2 特定の国民との共感に支配されず、また共感していない大部分の国民の意思を
┃   ┃ 考慮するため、確率・統計への正確な認識が重要である。
┃   ┃
[国民] [国民] [国民] [国民] [国民]

国民の防衛政策への関与

国民の防衛政策への関与の基本

国民の防衛政策への関与

国民の防衛政策への関与の仕方を考える。

・安定した最高指揮官・最高指揮機関による指揮の統一
・戦略的(全体的・長期的)観点に立った判断 (時に、肉を切らせて骨を断つ判断)
・機密保持の必要性

を考慮するに、防衛政策に関する国民の意見をまとめる仕組みに、急進的な仕組みはそぐわない。

そこで、仕組みとしては従来からの仕組みを使用し、国民の強化が国の強化につながる、という考え方を基本に据える。

すなわち、国民の防衛・安全保障に関する素養を上げ、短慮・慢慮を排除し、また健全な民主主義を維持する中で、間接的に、政府の最高指揮の質と能力を高めて、複雑化する国際情勢に対処し、国民に安全と安定をもたらす国の継続的存立を実現する。

・国民においては、防衛・安全保障に関する素養の向上、短慮・慢慮の排除

・健全な民主主義 (多くの事例と検証を経ながら、改良していく)

・政府においては、最高指揮官・最高指揮機関としての資質に欠けることのないこと

・文民統制

・防衛省・自衛隊においては、よく現実に鍛えられ、よく教育され、よく考え、優れていること。

国民の防衛政策への関与

国民の防衛政策への関与――集団的自衛権の議論から

国民の防衛政策への関与

2014年 7月 1日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(抜粋)が、閣議決定された。集団的自衛権の行使を容認する閣議決定である。

集団的自衛権に関する 2014年 7月 5日頃までの動き・議論を、管見するに、

 (1) 一部国民が、防衛に関する政府の選択肢の増加において生じる政府の失敗を予想して批判するも、その背景にある国民の失敗を無視していること [補足1]

 (2) 政府が、国民が議論の中心になるのを避けている

ことが、感じられる。

(1)に関しては、

 防衛に関する政府の選択肢の増加に対して、国民はどう対応すべきなのか、

という課題が想起される。防衛に関する政府の選択肢は、多すぎても 失敗が拡大するし、少なすぎても 無行動あるいは追い詰められての短慮な行動が大きな失敗を生む [補足2]。

(2)は、政府が憲法改正という手段をとらなかったことから感じられる。これを考えるときに、

 現在の日本国民は、実用的な速度で、防衛に関する基本方針に関して判断ができるのか、

という疑問が想起される。この疑問から生まれる、あるべき状況は、

 国民が、意義のある速度で、防衛に関して判断ができる状況

であり、このような状況を確固として実現するために考えるべき項目は、

 ・国民の素養・能力
 ・判断を支援する仕組み
 ・防衛に関する判断対象となる問題の切り分け方

である。

スコット・ペイジ=著, 水谷 淳=訳: 「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき (日経BP社, 2009) p.425.

 民主制が機能するには、人々が適度に正確で多様なモデルを持たなければならない。[太字は、ブログ記事著者による]

国際状況の複雑化と、政府が集団的自衛権行使容認を正式表明したことを考慮するに、(現在を含む)今後、政府が防衛政策を正しく実施していくためのひとつの鍵は、国民である。すなわち、これまで以上に国民の防衛政策に対する何らかの関与が必要になってきていると考える。

これは、我が国が民主主義国家であることに加え、複雑化した国際状況のなかで、政府の能力だけに頼った防衛政策の判断に限界を危惧するからである。

以前に比べて、国民の国際的感覚は増している。
しかし、軍事・安全保障に関する知識は、昨今、改善が見られるものの、大いに不十分であろう。
また、我が国の国民性として、集団的な問題解決に、無関心を多用するという性質がある。
さらに、軍事に対する無思考な忌諱が教育・実践された歴史をもつ。
加えて、(我が国に限らない)普遍的な国民心理というものに関して理解する必要がある。米西戦争(1898年)では、報道により国民が戦争を支持し、それに抗しきれず政府が開戦に踏み切った。

このような中、国民に安全と安定をもたらす、国の継続的存立を実現するために、国民が防衛政策に関与する環境(国民の素養・能力の向上。国民を支援する仕組み。問題の切り分け方を含む、政府に対する適度な手段。など)を考える必要がある。

初出:
2014/ 7/ 5 14:11

補足1:

防衛に関する選択肢の増加が、政府が過度に防衛力を出動させることにつながり、それが平和を乱す(、すなわち、平和を乱し、長期的な国益を損ねる)、という人がいる。

私の考えの根本は、政府の失敗は、国民の失敗に起因する、というものである。すなわち、以下の図式である:

  国民の失敗→政府の失敗→政府の責任→国民の責任

政府は、国民が選び受入れた仕組みで、国民が選んだのである。やむを得ない程度を超えて失敗する政府を、やむを得ない程度を超えて選ばないように、国民はしなければならない。

補足2:

(国民の失敗に起因する、)政府の失敗を危惧して、防衛に関する選択肢を制限することは、知恵である。

単一の知恵が、すべての問題を解決することはない。その知恵ゆえの不便・危険を受入れるのは国民である。

すなわち、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除」することができないこと、「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使する」ことができないこと、による不便・危険を受入れるのは国民である。

他国を頼りにするならば、他国に見返りを与えなければならない。他国国内の政治体制・世論に賛成していただくために必要な見返りは、極めて大きなものになろう。その見返りを用意するのは国民である。

他国を頼りにしない、あるいは他国の協力を取り付けられなかった場合、防衛に関する選択肢の消失は、「座して、国民が蹂躙され、またはその死を待つ」ことにつながりやすい(人は、時に、真に残虐である)。

この状態に瀕した時、国民、あるいは国民の意志を意識した政府が、短慮で過剰な行動を(とる|とらざるをえなくなる)ことが考えられる。その結果として生じる長期的な国益の損失を、国民は補填しなければならない。

国民の防衛政策への関与

抜粋「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」

閣議決定の抜粋の前に、憲法からの抜粋を挙げる:

日本国憲法 昭和21年(1946年)11月 3日公布

前文

…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、…、この憲法を確定する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

閣議決定の抜粋:

国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について 平成26年(2014年) 7月 1日閣議決定

 関連:
 平成26年7月1日 安倍内閣総理大臣記者会見

2 国際社会の平和と安定への一層の貢献

(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」

ウ(イ) 我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。 [ここでの「支援」とは、「後方支援」における支援の意味]

(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用

ウ 「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、国際連合平和維持活動などの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができる

3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

(3)… パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

… 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

(4)… この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。