「共産党宣言」における少数の価値の過小評価

マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」では、少数の価値を過小評価し、駆逐の対象にしている。*

「共産党宣言」での記述に従い、1:9としよう。

少数1が、全体の資本の9を所有している。

これは、所有のパレート則である。これだけならば駆逐の対象によいのかもしれない。

しかし、少数1が、全体の成果の9を生み出しているのである。これは、成果のパレート則である。

その中では、集中の効果、人間は集団になると一人当たりの作業量が減少するという「リンゲルマン効果」の逆も、働いているのだろう。

重要なことは、少数が全体をまかなっていることである。これは、冪乗則という統計モデルに準じた集団がもつ性質である。その少数から資本を摘み取り、多数に分配しても、全体をまかなえない。

補足:
* カンボジア共産党(クメール・ルージュ)のポル・ポトが、カンボジア国民全体にとって少数である知識人を虐殺したのも、この影響であろうか。

共産主義政権が独裁になる理由

私見。仮説。

共産主義政権では、資本の裏付けがない指導者が生じる。さらに、資本量という現実における成功度合いを映す鏡をもたないため、現実における成功に関する知見に乏しい。また、規範である共産主義をそのような人々が支配的に扱うため、規範である共産主義は、現実における成功から乖離し、改良されず、現実における成功をもたらさない。

その結果、共産主義政権では、指導者は、現実における成功に関して物知両面にわたり裏付けをもたない。指導者の地位は不安定になり、低くなる。その結果、指導者は、民の地位をより低くしようとする。

対して、共産主義でない政権では、指導者が現実における成功に関して物知両面にわたり裏付けをもつので、その地位は安定で、高くなる。そのような指導者は、民の地位が高くなることを許容する。そして、指導者と民の間の戦略的状況(主体同士の相互作用状況)によって、民の地位が高くなるのである。