急転進による弱体化

(私は『銀河英雄伝説』に、以下の思想がある、と汲み取った:)

艦隊は、急転進(×拙い艦隊運動)によって、弱体化する。

なぜならば、その速力が減じ、またその防御に隙が生まれるからだ。

関連:

誰かの幸せになる

和田 裕美 : 「やる気」が出るコツ、続くコツ―わかっているけど動けないあなたへ (ダイヤモンド社, 2010) p.174.

これはとてもシンプルなことで私がいつもやっていることです。

それは「誰かの幸せになる」ことです。
これは「誰かを幸せにする」ということではありません。
相手の「幸せそのもの」になってしまうということです。

津田 大介 : 情報の呼吸法 (朝日出版社, 2012)p.162.

 そのような環境下で求められるのは「自分自身も他人の資本である」という意識を持つことです。平たく言えばギブ・アンド・テイク――言葉を換えれば自分は資本を使う主体のみならず、他人の資本として使われる客体でもあるという意識を持てということです。自分が他人の資本として使える価値が大きくなればなるほど、自分に対してアクセスしてくる人間が増えます。結果、それは自分に多くのソーシャルキャピタルが回ってくるということを意味します。

目を遮って安心して絶壁のほうへ走っている

鷲田 清一, 内田 樹, 上杉 隆, 岩田 健太郎, 藏本 一也 : 有事対応コミュニケーション力 (技術評論社, 2011) p.128.

17世紀のフランスの思想家でパスカルという人が『バンセ』という本を書いているんですが、いまの自分たちをイメージするときにこの言葉を使うとぴたりとくる。「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている」。

国民皆兵の継続的な「決戦戦争」

石原完爾が「最終戦争論」に書いた、国民皆兵の「決戦戦争」。石原完爾はそれが一瞬で終わると書いた。

現代は、国民皆兵の「決戦戦争」が継続している状態である。「決戦」が軍事力による戦争によらないために、継続している。

我が国において、国民の概念が、国民(臣民)に広がったのは、日露戦争の頃だろうか。司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描いたのはそれであり、それ以前に国民(臣民)に国民の概念がないことを福沢諭吉は嘆いた。

当時は、国民と世界は隔れていた。国家あるいは国家的なものが、国民と世界の間にあった。

しかし、現代は、それがない、あるいは希薄である。

かくして、国民は世界に関わらざるをえず、継続的な「決戦戦争」において、国民皆兵なのである。

継続によって消耗が続く。消耗と回復を繰り返す。継続によって得られたものは、時間であり、時間が生む可能性である。

ストーリーがもつ説得力の根源

以前、以下の文章を書いた。

「ゲキ・ガンガー」を書け――国民文学による優れた考え方の共有

広く伝わるストーリーによって、多くの個人に考え方を修得させることができる。

考え方は単独では伝搬性が弱い。深く理解されず、すぐに忘れ去られる。しかし、ストーリーにくるまれると、深く理解され、忘れられにくい。

ストーリーは、強い説得力を具備している。

この説得力の根源は、因果関係のヒューリスティクスだと、考える。

因果関係がもつ無矛盾性が、ストーリーが実際に存在するように思わせているのである。

結城 浩 : 数学ガール/ゲーテルの不完全性定理 (ソフトバンク クリエイティブ, 2009) p.362.

 ミルカさんはそう言うと、ホワイトボードに四つの標語を書いた。


 《無矛盾性は存在の礎 [いしずえ] 》