悲劇のエピソード

災害の後においてみられる、悲劇のエピソードの報道は「教科書に載らない」 情報である。

水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.251.

この世には二つの種類の〈真理〉がある。別の言葉に置き換えられる〈真理〉と、別の言葉には置き換えられない〈真理〉である。別の言葉に置き換えられる〈真理〉は、教科書に置き換えられる〈真理〉であり、そのような〈真理〉は〈テキストブック〉でこと足りる。ところが、もう一つの〈真理〉は、別の言葉に置き換えることができない。それは、〈真理〉がその〈真理〉を記す言葉そのものに依存しているからである。その〈真理〉に到達するには、いつも、そこへと戻って読み返さねばならない〈テキスト〉がある。

 アリストテレスがいまだ読み続けられているのは、かれの書いたものが〈テキストブック〉には還元できない〈テキスト〉でもあるからにほかならない。

津波で満ち満ちた堤防を見て感じた恐怖

東北地方太平洋沖地震の際に、津波で海側が海水で満ち満ちた堤防をテレビで見て恐怖を感じた。

この恐怖の本質を考えた。

「満ち満ちている」ことは、永遠・無限を暗示する。

海水で満ち満ちた堤防から、私は、災禍の永遠・無限を感じ取ったのだ。

茂木 健一郎 : 思考の補助線 (ちくま新書, 2008) p.134.

 私たち人間が自分たちの卑小さを痛感するのは、「無限」に向き合うときである。

自由が拘束をもたらす例

Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: コートの胸のあたりががきついな、と思いながら数日過ごしていたのだが、理由が分かった。着脱式の内張りをとめる片方の肩のボタンが外れ、腕を通す時につられて引張られた内張りが、もう片方の肩でコート本体を引き寄せていたのだ。 (2011/ 3/25 10:55pm)

内張りをとめるボタンが外れるという「自由」状態が、コートの胸のあたりががきついという「拘束」状態を生んだ。

自由が拘束をもたらす例として、興味深く思った。

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走」視聴記録

見逃していた NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走」(2011/ 3/ 6 放送) をNHKオンデマンドで視聴しましたので、感想を書きます。

3:40 できない戦争を4年間やったのか。それを4年間できちゃったのか。

6:00 開戦時の米国の国力(総合力)は、日本の80倍。それでは、戦争にならない国力差オーダとはいか程なのか。

9:35 大本営政府連絡会議。参加者の権限が対等で意志決定できない。

12:00 「文字で妥協、作文でね。」

14:00 あいまいな首脳部は、現場の拡大解釈を許すことになった。

25:00 説き伏せるだけの言葉があるか。

25:40 犠牲者は、大きな精神的拘束力をもったサンクコストになる。

30:20 以下を思い出した。「国家は貴官を大学校に学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない」坂の上の雲 5 p.113.

32:00 奇策は、でも奇策でしかない。

34:40 勇気ある決断が出来ない国家。当時の日本はそうだった。それも国力。

39:30 輸送船舶量(南方石油の輸送)に注目が集まった。

44:00 最後通諜では原則を示す。それは相手への妥協がないため、相手は全く飲めない。

関連:
Togetter – 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走 周囲の感想」

大きな能力を活かして、社会を安定化する

大きな能力を活かして、社会を安定化する。

例えば、サウジアラビアは、大きな産油能力を使って、石油価格を安定させてきた。今回のリビア騒乱に対しても、サウジアラビアは石油増産処置を採った。

中村 覚=編著 : サウジアラビアを知るための65章 (明石書店, 2007) 須藤 繁 による「第58章 サウジアラビアの石油外交」 p.328.

 サウジアラビアの石油外交は、一九七三年の対米・対オランダ禁輸を除けば、概して、世界経済秩序の維持に最大限留意するものであった。

同書 pp.330-331.

 … 世界に占める位置を埋蔵量と生産能力の点から確認すれば自ずと明らかであろう。まずサウジアラビアの原油確認埋蔵量は、… 産油国グループのなかで群を抜いている。また、余剰産油能力という点でも、サウジアラビアは同能力の動員を通じて国際石油市場において卓越した影響力を有している。… このことによって国際石油市場は供給削減事態が起きても、大きな混乱を経験することなく、維持されてきた。

 サウジアラビアは繰り返し、国際石油市場の安定化のためにその余剰生産能力を用いてきた。

ダイエーは、1995年の阪神淡路大震災において、被災地店舗への商品供給に努め、物価の安定に貢献した。

中内功 – Wikipedia [2011年2月27日 (日) 13:54 の版]

1995年1月17日早朝、阪神・淡路大震災が発生。東京・田園調布の自宅で知った中内は、ただちに物資を被災地に送るよう陣頭指揮。フェリーやヘリを投入して食料品や生活用品を調達したことで、一部で見られた便乗値上げに対し、物価の安定に貢献した。そのため、大災害が起きた際には暴動が起こる例も世界中には少なくないが、神戸ではそうした騒ぎが起きなかった。

人による人の絶滅、インディアスの破壊についての簡潔な報告

ラス・カサス=著, 染田 秀藤=訳 : インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩谷文庫, 1976)

西インド諸島(イスパニョーラ島、キューバ島、ジャマイカ島など)・南米・北米フロリダ・ユカタン半島の原住民とその社会が、スペインの入植者によって絶滅させられた状況を、スペイン(当時、カスティーリャ王国)王太子に上奏する書簡です。1542年に書かれました。

広域の住民およびその社会を絶滅可能であるという、歴史を教えます。国家の危機に臨んで、読んでおくべき書籍であると考えます。

入植者の行為は、絶滅というよりも「収穫」に思えました。

入植者は、最初は原住民から食糧を取り上げました (あるいは、殺戮しました)。

そして、金(きん)を取り上げました。「黄金の国」と呼ばれた日本も、ヨーロッパに近ければ、大いに危険であったと考えます。

その後、原住民に過酷な労働を課しました。労働を課せられた原住民は衰弱して死んでいきました。

残りの原住民は、奴隷として売り払われました。ヒトの労働ではなく、ヒトそのものが経済的に流通したのです。奴隷制度はヒトを効率的に財に変換する経済的手段であり、経済的原理によって力強く駆動されるのです。

関連する引用:
内田 樹 : 街場のメディア論 (光文社新書, 2010) p.116.

制度を可変的なものにするための方法は経験的には二つしか知られていない。それはまさに宇沢弘文先生が「社会的共通資本に適用してはならない」と言った当の二つのもの、すなわち政治イデオロギーと市場です。 

そんな制度でも、政治イデオロギーと市場の支配に委ねれば、めまぐるしく変化する。間違いなく変化する。