人の限界、人の進歩

9・11(アメリカ同時多発テロ事件) において 世界貿易センタービルへの第2撃を防げなかった理由は、人が、全てを直観する「神」でないからである。少なくとも、第1撃から第2撃の17分間において、人は、全てを直観する「神」でなかった。

しかし、人は、撮影された動画から選び出し、それを広く配信・共有することによって、少しの時間差で、多くを直観するに至った。そう考えれば、(9・11の際はテレビカメラであったが、)ビデオカメラ付きスマホの普及は、「神」に近づく道の一つである。

参考の引用:
貫 成人 : 哲学マップ (ちくま新書, 2004) p.68.

かれら[:デカルト、パスカル、スピノザ、ライプニッツ]の「神」についても〈その視点から宇宙と時間の全体を見渡しうる永遠の絶対的全知全能存在〉という設定と理解しておけば十分である。

「無敵の被害者様」と「だって被災地だもの」の違い

NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」第138回 (2013/ 9/ 7放送)中の台詞「だって被災地だもの」からの思索:

●「無敵の被害者様」

被害者-加害者間に焦点を当て、自立が顕らかに捉えられていない。

●「だって被災地だもの」

被害者-(被害に会っていない)外部者間に焦点を当て、自立が顕らかに捉えられている。

関連:
胸に残る…クドカンの実体験「だって被災地だもの」に賞賛の声 #あまちゃん | 「あまちゃん」徹底解説ブログ

「EPIC」を思い出す

【これが全自動?】22才が作ったニュースの要約サービスが凄い件 – NAVER まとめ
アマゾンのベゾスCEO、ワシントン・ポスト紙を個人として買収。キャッシュで2億5000万ドル – Engadget Japanese

を読んでいて、「Googlezon」で知られる動画「EPIC」を思い出したのですよ。

本当は、「EPIC 2015」の日本語字幕付きを載せたいのだけれど、あれどこにいったのかなぁ。

EPIC 2015 (2005年発表):

EPIC 2014 (日本語字幕付き) (2004年発表):

固有名詞など定量的には 「EPIC」での将来予測は正しくなかったですが、定性的には将来予測は正しかったです。

過去の将来予測に定性的に言い当てられた、今現在の社会を、今に生きる我々は、当たり前のように受け入れています。

「他者に向ける」思想に基づいた組織

「他者に向ける」思想に基づいた組織を思考してみる。

ただし、組織構成員が各々に自助思想を発動させていなければならない。

「他者に向ける」思想として、以下の(1)(2)を示す。(1)(2)によって面(2次元)を形成できる。(1)は垂直的、(2)は個-個関係であり横軸である。

  • (1) 「日本を救いたければ、世界を救え」— 理に通じた欲によって、自組織外の複数の他者に貢献せよ。
  • (2) 渦は自らを回転させず、他を回転させる — 故に、担当には複数人を充てるべきである。お互いに同じ担当の他者を刺激し、行動させる。
  •  
    (1) 「日本を救いたければ、世界を救え」

    北澤宏一氏が著した「科学技術は日本を救うのか」の結論として、小飼弾氏が挙げた言葉である。この言葉は、自分・自組織に集中・狭窄した視野を見開かせることに役立つ。この言葉には、どのように見開くべきかを示唆するところに高い価値がある。

    即ち、理に通じた欲を持って、自組織外の個別認識できる複数の他者に貢献するのである。

    「日本を救う」という、理に通じた生存欲が、まずある。そのために救う「世界」である。「世界」として、直接に相手にするのは、個別認識できる複数の他者である。

    先に、垂直「的」関係と書いたのはこのためだ。垂直関係ではなく、斜め上の関係である。すなわち、世界という単一体を考慮しない。「一と全」という言い古された言葉に置き換えれば、全という単一体を考慮しない、即ち、直接に相手にしない(「敬してこれを遠ざく」—論語・雍也第六)。

    理に通じた欲に話を戻そう。

    個人が持つ、理に通じた欲は、公欲と呼ばれる。対する概念は、私欲である。「意味のないことに対して(それをしないように)緊張感をもって生きる」と言う場合、「意味のないこと」をしようとする欲は、私欲である。

    道義ではない、理に通じた欲によって、自組織外の複数の他者に貢献するのである。

    (2) 渦は自らを回転させず、他を回転させる

    故に、担当には複数人を充てるべきである。お互いに同じ担当の他者を刺激し、行動させるのである。

    「1.5R」の思想は、自分による行動を意図するが、これは他者による行動を意図する。

    全体を運ぶための網としての戦略

    戦略 * の具体化された形態とは、

      大局を支配するための、資源が集中投入された小局の集合、及びその連携

    である。

    即ち、例えるならば、スイカを運ぶための、(結び目が少ない)網のようなものだ。

    アルベルト・マングェル=著, 野中 邦子=訳 : 図書館 愛書家の楽園 (白水社, 2008) p.270.

    パニッツィ[:大英博物館図書館主任司書。サー・アンソニー・パニッツィ Sir Anthony Panizzi (1797-1879)]は…何よりも、「書物が織りなす網」によって、イギリスの文化と政治の本質(アイデンティティ)を支えたいと願っていた。

    * 戦略とは、《自分のとる行動だけでなく、他のさまざまな人の行動と思惑がお互いの利害を決める環境》において、自分が自分の自由意志のもとにとりうる行動を、その将来にわたる予定を含めて記述したものである。

    「歴史」を学ぶ小・中・高校生が知っておいたほうがよいこと

    要約:
    歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ。


    歴史の知識は、過去情報の復元・読み解き・体系化によって作られ、一般化と問題解決への活用によって益になる(効用・便益が現出する)。

    このことは、高校課程以下の教科としての「歴史」(「社会」・「歴史」・「日本史」・「世界史」)において、そのどれもが扱われていないので、分かりにくい。

    高校課程以下の教科としての「歴史」は

      ・生徒が後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるように、
      ・生徒が後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる〈歴史知識の一般化〉を実施できるように、

    体系的だが一般化前の知識をもった、脳を大量生産している。

    即ち、歴史を頼みとできる(、歴史知識を「知らなかった」という言い訳を許されない高い立場を持った)人々を大量生産し、それらの人々が意見交換でき、一個の人より強力な人間集団により問題解決できる状況を生産する。

    つまり、スタートラインまで連れてこられる。しかし、そこから走り出すことを教えられないのである。

    走ることを予め知った上で、スタートラインに向かう方がよい。すなわち、

    「歴史」を学ぶ小・中・高校生は、

      歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ

    ということを知った上で、「歴史」の勉強に取り組もう。


    関連する引用:
    大熊 康之 : 戦略・ドクトリン統合防衛革命―マハンからセブロウスキーまで米軍事革命思想家のアプローチに学ぶ (かや書房, 2011) p.42.

     ルース[:Stephen Bleecker Luce, 米海軍 Naval War College の創始者であり、初代校長] のものの見方及び考え方のバックボーンは歴史であった。彼は、マコーレー(Thomas Macaulay, 19世紀のイギリスの歴史家)の「いかなる過去の出来事も(それ自体としては)重要ではない。その知識は、未来のための算段に導いてくれる場合にのみ価値がある」と、ボリンブローク(Viscount Bolingbroke, 17~18世紀のイギリスの政治家・哲学者)の「歴史は実例によって教える哲学である」との2つの見解に共鳴した。そしてルースは、「歴史研究の要訣は、特定の実例の〔特定の〕範囲内での扱いとそれらからの一般化へのプロセスに関する各人の考察にある」と結論している。

    国家と民

    2013年の終戦の日前後に考えたこと:

    国とは、多くの人が認識できる(:アイデンティティになる)最大の単位であり、その中で国家は安全保障・社会保障・利益配分の仕組みである。

    国家は、民にとって刀みたいなものか。ただし、使用者を惑わせ、思考を拘束し、滅ぼす妖刀になりうる刀である。

    民と国家の関係には、常に注意と調整が必要である。

    そして、刀を扱う者として、衣食住が足り、健全な民が必要である。迷信を除去し、(集団として)将来を見通し(:深い投資とリスク分散を行い)、立ち上がり続け、動き続け、学び続け、技を磨き続け、学びと技を応用し続ける民である。

    ベルリン動物園

    ベルリン動物園。1844年開園。プロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の御代。

    オーストリア帝国のシェーンブルン動物園へのプロイセン王国の対抗だろうか。

    1849年、フランクフルト国民議会小ドイツ主義(オーストリアの排除)によるドイツ統一が示される。ヴィルヘルム4世に、同議会は「ドイツ皇帝」の称号を贈ろうとしたが、王は戴冠を拒否した。これは、帝位を民衆ではなく諸侯の協議によって決められるものと考えたことが理由で、王は、同じく小ドイツ主義によるドイツ統一を目指していた。

    王の戴冠拒否は、“正統なるドイツ皇帝”を求めたことのむしろ表れであろう。

    リスクとプロフィット

    森 博嗣 : 幻惑の死と使途 (講談社文庫, 2000) p.194.

    「何と何を交換したのでしょう?」
    「リスクとプロフィット」犀川は煙草を片手で回している。「当たり前の一般論だけど、子供の悪戯だって、大人の仕事だって、政治だって、戦争だって、宇宙開発だって、みんな同じだ。危険と利益を交換する。…」