エネルギーと情報の二元論的思考のまとめ

エネルギーは、“生命の実”に関する。その視点の先には、発展がある。メディア(コンテナ)に宿る。

情報は、“知恵の実”に関する。その視点の先には、幸福がある。コンテンツに宿る。

■ エネルギー

 ●エネルギーと発展

発展についてをご覧下さい。

 ●エネルギーとメディア(コンテナ)

我々が認識する全てのモノは、メディア(コンテナ)である。

メディアがヒト(人)に認識される、すなわち、無あるいは他のメディアとは異なるものとして認識されるには、それが低エントロピーでなければならない。つまり、低エントロピーに生産され、低エントロピー状態を維持できていなければならない。

関連:
発展について #生物個体や社会の本質

■ 情報

 ●情報と幸福

幸福は、情報によって表現されるだけではなく、情報上の概念として存在する。

 ●情報とコンテンツ

メディア(コンテナ)が醸す事柄を理想的に解読したのがコンテンツ(情報)である。それに接したヒトの神経系に生じる一連の信号が、それを近似する。

■ エネルギーと情報

 ● エネルギーと情報

発展について #エネルギーと情報をご覧下さい。

 ● 発展と幸福

発展(すなわち、エネルギーの有効な利用量の増加)による〈不可能の可能化〉は、幸福のひとつの見方である「ほんとうを確かめ合うことである」の“ほんとう”の追求をヒトの最重要課題に押し上げる。できない言い訳をすることができなくなったとき、ヒトは“ほんとう”を真剣に考えざるをえなくなる。

 ● エネルギー{:メディア(コンテナ)}と情報{:コンテンツ}と経済

発展について #経済をご覧下さい。

言い換えると、メディア(コンテナ)とコンテンツのやり取り(:変換)の連続の、ひとつの形態が経済であり、そのやり取りが個々の経済活動である。経済活動は一般化されることにより、連続である経済が高速化されている。例えば、牛であろうが、宝石であろうが、靴磨きサービスであろうが、それらは商品として売買(一般化された経済活動)される。やり取りの作法は様々であろうが、買い手が売り手に金銭を支払い、商品を得ることは共通である。それ故に売買行為の経験は積みやすく、慣れにより高速化していく。だから、ゆっくりで広がりのない〈地面を水が這う様(さま)〉ではなく、高速で広がりのある〈用水路〉なのである。

“生命の実”と“知恵の実”を共にもつには

『翠星のガルガンティア』に描かれた、「強力に進化した末に、倫理や人道どころか文化・情操も捨て去り、人間らしさを捨ててでも生存するための生体兵器群と化してしまった (Wikipedia)」人類の進化形態“ヒディアーズ”の様(さま)は、“生命の実”と“知恵の実”を共にもつことの困難さを示唆する。

この示唆は、逆説的に、“生命の実”と“知恵の実”を共にもつ、人を超えた対象の想像へと向かう。これを“神”の認識のひとつに挙げられる。

さて、人類が“生命の実”と“知恵の実”を共にもつには、どうしたらよいか。例えば、以下の方法を挙げられる:

・人が“生命の実”と“知恵の実”のごく一部を所有すること。すなわち、“生命の実”を持つものの創造、及び共生あるいは奴隷化。“知恵の実”を持つものの創造、及び共生あるいは奴隷化

・人類が自らを律する、例えば“幻”の創造――旧約聖書 箴言29章18節「幻がなければ民は堕落する。」(日本聖書教会 共同訳聖書実行委員会: 聖書 新共同訳 (日本聖書教会, 1988) p.(旧)1029.)

若年層を観測する

〈若年層が老後に備えて貯蓄を増やしていく、その貯蓄を銀行などが投資する、これが経済発展の一要因である〉という考え方が一般的なのだけれど、近年は、若年層の消費額減少による経済停滞が問題視されるようだ。

若年層は、貯め且つ消費する役割を期待され、そしてそのように駆動されようとするのであるが、そうは叶わぬ。

なぜ「そうは叶わぬ」なのか。若年層が搾取されているから、という理由は間違いではないが、事の本質に戻れば、逆説的に〈搾取する側〉の老年層の貯蓄・消費によって、経済発展すれば良いのだ。しかし、全年代を総合しても、貯蓄率は著しく低下している(*)。そうは叶わぬのである。

ここまで考えて、少し視点を変えて、結論を導いた。すなわち、:

全年代総合の未来が、先んじて若年層の現在に表れているのだ。

なぜならば、若年層は、浮き沈みが激しい。これは、経験的・人脈的・物的・金銭的な蓄えが少ないことによる重みのなさ(軽妙さ)、創造性・積極性に富むことによる敏感さに、起因する。

この結論は、座して待つための知識ではなく、観測のための知識である。若年層の観測を評価手法として、問題の原因を解決し、美点の源を栄えさせ、全年代総合の発展を図ることができる。

註:
* 加藤 久和 : 人口経済学 (日経文庫, 2007) pp.134-135.

 わが国は過去において高い貯蓄率を誇っていた国として国際的にも有名でした。統計データの接続などの関係で直接は比較できないものの、国民経済計算における家計貯蓄率をみると、1975年度では23.1%、また1985年度では15.8%でしたが、2005年度では3.1%にまで低下しています(1975、1985年度は68SNA、2005年度は93SNAの基準によります)。

学ぶ対象としての歴史がもつ 3つの側面

学ぶ対象としての歴史には、3つの側面がある:

1. 帝王学として (問題解決の際に頼る知識として)
2. 有職故実として (正統性を求める際に頼る知識として)
3. 暗記術として

補足:
側面 1. が強調されることが、最も望ましい。

関連:
「歴史」を学ぶ小・中・高校生が知っておいたほうがよいこと

発展について

発展とは、エネルギーの有効な利用量の増加である。即ち、負のエントロピー供給量の増加である。

Jeremy Rifkin=著, 柴田 裕之=訳 : 水素エコノミー―エネルギー・ウェブの時代 (NHK出版, 2003) p.58.

ホワイトはこれらの要因を考えあわせ、「ひとり当たりの年間エネルギー利用量が増えるにつれて、あるいはエネルギーに仕事をさせる道具の効率が上がるにつれて、文化は発展する」と結論づけている〔9〕。

9 White, Leslie A. The Science of Culture: A Study of Man and Civilization. New York: Farrar, Straus, and Company, 1949. pp.368-369.

■ 生物個体や社会の本質

生物個体や社会の本質は、内部のエントロピーを低くする(、それと同時に外部のエントロピーを増大させる)ことである。

Jeremy Rifkin=著, 柴田 裕之=訳 : 水素エコノミー―エネルギー・ウェブの時代 (NHK出版, 2003) p.67.

生体は秩序ある存在として安定した状態を保っているが、そのために、利用可能なエネルギーを糧としており、環境の総体的なエントロピーを増やしている。「生体の形成に見られる少量のエントロピーの局所的な減少は、宇宙全体のエントロピーのはるかに大きな増加と抱き合わせになっている」とブラムは言う〔19〕。

19 Blum, Harold F. Time’s Arrow and Evolution. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1968. p.94. (ハロルド・ブラム著「自然の進化」みすず書房)

エネルギーの有効な利用量が、エントロピーを低くできる影響範囲を決める。利用量が少なければ、生物個体自身しかエントロピーを低くし続けられないが、利用量が多くなるほど、より広い範囲のエントロピーを低くし続けられる。

■ エネルギーと情報

(エネルギーの視点で捉えると、)情報は、低エントロピーなエネルギーを利用する〈方法=技術〉と〈権利=金銭〉である。

技術は、情報によって表現され、保存される。技術進歩の内容は、

  • エネルギーの新たな利用法 (新たな《エネルギーを利用した結果生じるもの》)
  • より多くのエネルギーの利用法
  • エネルギー効率の上昇

である。

なお、情報を保持する媒体のエントロピーは低い。紙・DVD・LSI などは、エネルギーを利用して、低エントロピーに生産される。脳や神経は、エネルギーを利用して、低エントロピーに保たれている。情報をもつ社会は、エネルギーを利用して、低エントロピーに保たれ、また、情報の送受信には、エネルギーが必要である。

■ 経済

経済は、エネルギーと情報の用水路である

《〈自然の恵み〉と〈それを変換した財・サービス〉》(低エントロピーなエネルギー)と、それらを利用するための情報を、行き渡らせる。

Jeremy Rifkin=著, 柴田 裕之=訳 : 水素エコノミー―エネルギー・ウェブの時代 (NHK出版, 2003) pp.74-75.

経済活動とは、エントロピーの低いエネルギーを環境から借りて、価値のある製品やサービスに一時的に変えることにすぎない。その過程では、生産された物やサービスに込められるよりも多くのエネルギーが費やされて環境へと失われる。

経済成長は、以下から構成されている。

加藤 久和 : 人口経済学 (日経文庫, 2007) p.139.

経済成長率=技術進歩の上昇率+資本分配率×資本ストック増加率+労働分配率×就業者増加率

  註:「資本ストック」とは、生産活動に使用される設備のこと。 (参考 同書 p.131.)

技術は、情報である。資本ストックと就業者は、情報をもとにエネルギーの変換する装置である。

姫路のご当地アイドル「KRD24」からの発想

姫路のご当地アイドルプロジェクト「KRD24」からの発想:

個人の共通点がなくなった社会(平均が意味を持たない社会)において、(マス)メディアは、ごちゃ混ぜを提供するか、キュレータとして振る舞う。

個人の共通点が残っている社会(平均が意味を持つ社会)において、(ローカル)メディアは、平均を提供し、安心を提供する。

共通点がある個人の集合において、平均はその共通点を浮かび上がらせるため、平均を、対象像として設定することに意味はある。しかし、共通点がない個人の集合に対して、平均は無意味である。なぜならば、個人がもつ性質の度合いの多くは、正規分布ではなく、冪条則に従って分布するからである。

個人と《個人同士の相互作用》の総合としての社会は、中心局限定理により、意味のある平均をもつ。その社会の将来を予測することは可能かもしれない――ハリ・セルダンの心理歴史学のように。

しかし、個人の共通点がなくなった社会において、個人への訴求力をもたなくなったマスメディアに、社会の操作は不可能である。あるならば、社会を特定の将来へ誘導すべく、個人への訴求力をもったメディアそれぞれを操作しなければならない。

現実学術によって、混沌から守りながら最適化を図る

まず管理する大事なのは秩序だ 秩序が制約を生む。我々は制約によって混沌から守られながら、自由な発想の元に、最適化を図る。

現実を対象とする学術(以下、「現実学術」と書く)は、「混沌から守りながら、最適化を図る」ために、《混沌から守りながら、望み・欲求を叶える現象を起こすために、何(変数)をどの値に変化させればいいのかを見つけること》が目的である。

言い換えれば、現実学術において、後々まで残る成果とは、外乱・内乱のなかにあっても、変数の変化に従い性能が目論見どおりに変化する、即ち、基本機能失わないシステムを構築・発見することである。

現実学術が成功している状況では、世界は単純である

補足:
当初、本文章における「現実学術」を「工学」と書いていた。

本文章の発想の起点は、品質工学にある。これは、工学分野において培われ・共有されている思考の対象分野が、人類の製造行為による生産物に限らず、その効用が普遍的であることを強く示唆する。

「現実学術」という言葉は、本文章において、現実を対象とする学術という意味で用いている。理想化された(=都合がよい)ものに満足しない学術である。

例えば、工学、医学、経済学、政治学、産業技術総合研究所のいう第2種基礎研究などである。

「工学」以外の「現実学術」を文章に例として当てはめて、その成立を確認し、「現実学術」という言葉の使用が適切だと判断した。

学術・教養は「結び技」である

学術・教養は「結び技」である。社会に出た後、取り扱う商品や専門技術の範囲内に閉じこもらず、それらを連携させて、全体を推進させていくためには、学術・教養の修養が必要である。

補足:
これは、京都産業大学の学生募集広告を見かけた時に、同学が掲げる「むすびわざ」を、「結び技」だと有益に誤解して、考えた文句である。有益な誤解は、言語がその性質として不完全であるが故に為せるわざである。

京都産業大学が掲げる「むすびわざ」とは、「産す業」であり、「新しいもの、こと、価値を産み出すこと」である。

京都産業大学 「むすびわざDNAプロジェクト」 始動宣言

本学は産学協同を実践する総合大学の完成を最終目的として、「産業大学」と名付けられました。『最高学府は社会を支える人材育成の産業(むすびわざ)であるべきだ』と考えた学祖荒木は、産学協同はアカデミズムに反するという時代背景にあって、あえて「産業」の二文字を掲げ、社会との交流を推し進めました。 「むすびわざ」とは「産業」の読み方のひとつであり、「むすぶ」は「むす」から派生した語で、「産み出す」という意味をもちます。

「新しい業をむすぶ」と読み解き、新しいもの、こと、価値を産み出すことを表しています。 京都産業大学の「産業」とは、まさにこの「むすびわざ」を表すのです。

 これが学祖荒木俊馬の「産業」に込めた思いであり、産学協同に代表される社会との連携のなかから新たな価値を生み出すことで、他に類をみない教育・研究を実践する大学を志し、多くの同志達とその具現化に営々と努めてきたのです。

経済は、用水路である

経済は、用水路であり、富は、自然の恵みが姿を変えたものである。

自然の恵み、すなわち、その根源をたどれば、太陽(あるいは地球内部)における核反応のうち、ほとんどは無駄になる。

自然の恵み(の全体からすれば、そのごく一部)を、それを受けられない空間・時間に行き渡らせている仕組みが、経済である。それは、山に降った雨をそのまま海に流すのではなく、広い土地に行き渡らせる用水路(、さらには水を蓄え放出する溜め池を含めた灌漑システム)に例えることができる。

経済は、自然の恵みを富に、富を富に変換する仕組みなどから構成される。富は、自然の恵み(その本質として、エネルギーや情報)が姿を変えたものである。

利用できる富に変換できる仕組みが現に存在することへの安心感、将来登場することへの期待感が、人に新たな資産を作らせる動機を持たせる。資産は、自然の恵みやそれが変換されて生まれた富を、空間・時間に行き渡らせている仕組みの一部になり、その働きを強くさせる。すなわち、経済を発展させる。

「公共」宇宙と宇宙領土

宇宙は「公共物」、すなわち大国により管制され、有事においては大国の私物である。

現在、宇宙は、制高に役立っている。すなわち、
 ・敵の情報をさぐる
 ・味方に有益な情報を提供する。やりとりの中継点になる
 ・敵に物質(例えば、爆弾)を送る
ことができる。

将来、宇宙は、資源の源にもなる。資源は権益を生み出す。そして、資源開発・採掘には、定住する人口が必要である。これは人口の受け入れの起点になる。

定住者は、周囲を監視する。また、権益と人口は、軍事力の発動の理由になる。特に、民間人の人命保護は、内政・外交共において、強力な根拠になる。また、一定規模の人口の受け入れが可能ならば、一定規模の軍、すなわち一定の戦闘を継続しうる軍の駐留が可能になる。

ここに、宇宙領域の領土化が始まる。領土化に成功した国は、そこから採掘される資源、そこに設置された製造設備、その製造設備の生産物を、最大限に利用できる。領土は「公共物」よりも、使いやすいのだ。

また、宇宙領土と地球上の本国の連携行為によって、「公共」宇宙の管制を、より効率的に実施できる。

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