筒井 清忠=編「政治的リーダーと文化」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★



購入: 2011/ 8/12
読了: 2011/ 8/14

知識人とは何か。

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 2 件

知と知識人をまって初めて国家の体制は確立される

記事ページ 発行: 2011年12月24日

瀧井 一博 (2011). 第1章 知の国制――伊藤博文の国家構想. 筒井 清忠=編 : 政治的リーダーと文化 (千倉書房) p.29.

 伊藤[博文]はシュタイン[:ウィーン大学 国家学教授 ローレンツ・フォン・シュタイン]を通じて、大学を国家機関として、国制の不可欠のファクターとして改革するとの構想に開眼したといえる。国会図書館憲政資料室の『伊藤博文文書』のなかに残されているあるシュタイン国家学の講義ノートには、「堅牢ナル政体ノ基礎トナルヘキ官吏ヲ養成スルハ大学校ノ務メナリトス。故ニ大学校ハ政事上ニ関シ緊要ナル目的ヲ有スルモノニシテ、唯其学術ノミヲ教授スルヲ以テ目的トスルモノハ未タ其目的ノ半途ナルモノニシテ、完全ナル主義ヲ備ヘタルモノナリト云フコト得サルナリ(「スタイン氏講義筆記」上・下『伊藤文書』二三四‐一、二)」との一節が認められ、大学で生産される知と知識人をまって初めて国家の体制は確立されることが論じられている。換言すれば、国制を刷新するには、その前提となる学識階層と知の装置を創出しなければならないということである。そのような企図でもって、憲法に先駆けて創立されたのが、帝国大学だった。帝国大学を中心とする知の体系(「帝国大学体制」[...])を導出する端緒として、伊藤憲法調査はあったのである。



 

総合的知識人

記事ページ 発行: 2011年09月11日

筒井 清忠 (2011). 序論 現代における「政治」と「文化」. 筒井 清忠=編 : 政治的リーダーと文化 (千倉書房) pp.12-13.

 従来知識人というものには、主に大学で専門研究に従事する専門知識人、マスメディアとくにテレビによく出るタレント文化人、マスメディアとくに活字媒体で活躍する総合的知識人の三種類の存在があった。明治時代までは福澤諭吉にせよ夏目漱石にせよ圧倒的に総合的知識人が有力であった。... 日本の近代化をめぐる諸課題に取り組む彼らは内外の問題に対する総合的な視野を持った総合的知識人たるところにその特性があった。

 大正後期、活字メディアの急速な発達の中この総合的知識人は分化し、大学で専門研究に従事する専門知識人とマスメディアで活躍する教養主義的総合的知識人とに二分される。...

 戦後、一九五〇〜六〇年代にテレビが発達するとともにタレント文化人が登場し始める。テレビでコメントしたりする文化人である。...

 こうして、専門知識人・タレント文化人・総合的知識人の三者鼎立の状況がしばらく続く牧歌的時代が過ぎていった。...

 やがて一九七〇年代ころから急速に教養主義の衰退が始まりそれとともに論断誌は部数を減らし総合的知識人の存在は影が薄くなっていった。



 

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