岩田 宗之「議論のルールブック」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★



購入: 2010/ 2/ 3
読了: 2010/ 2/11

Twitter / TAKAGI-1: @yonda4 「議論のルールブック」 pretty good! 後でまとめる。

404 Blog Not Found:まずは議論[に]しよう - 書評 - 議論のルールブック

議論のしかた | iwatamの個人サーバ

ブクログ - web本棚サービス


この情報は2024年6月現在の情報です。現在の状態はこちら

この本からの引用、または非常に関連する記事

全 8 件

可能なら表題レベルで結論を述べる

記事ページ 発行: 2010年02月11日

404 Blog Not Found:まずは議論[に]しよう - 書評 - 議論のルールブック

>論文からプレゼンまで、ノンフィクションにおけるフォーマットでは、まず--可能なら表題レベルで結論を述べ、次にその理由を議論し、例題はその議論の中で取り上げることが多い



関連:
岩田 宗之「議論のルールブック」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2878.html

 

客観的な態度

記事ページ 発行: 2010年02月20日

岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.110.

>自分の外の世界をより正確に知るために観察と推測を繰り返すという態度を、客観的な態度といいます。


Samuel Smiles=著, 竹内 均=訳 : 自助論 (三笠書房 知的生きかた文庫, 2002) p.52

> あのニュートンのごとき天才でさえ、「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっているが、私はその浜辺で貝がらを拾い集めているにすぎない」と語っている。



 

例題を表題の次という「一等地」に置く事で、「通りすがり」に議論への参加を促す

記事ページ 発行: 2010年02月11日

404 Blog Not Found:まずは議論[に]しよう - 書評 - 議論のルールブック

>論文からプレゼンまで、ノンフィクションにおけるフォーマットでは、まず--可能なら表題レベルで結論を述べ、次にその理由を議論し、例題はその議論の中で取り上げることが多いのだが、これはそもそも議論というプロトコルが成立している状態では簡潔かつ有効でも、まだ「議論」に入っていない「通りすがり」には路傍の石と同じである。ところが本書では、あえて例題を表題の次という「一等地」に置く事で、「通りすがり」に対して上手に議論への参加を促している。

このフォーマット、実に応用が利く。上手な語り手は結構無意識的にこれをやっているのだが、本書のほど徹底的かつ明示的に採用したものも珍しい。これは是非盗ませてもらう事にしよう



関連:
岩田 宗之「議論のルールブック」
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2878.html

 

「議論のルールブック」まとめ

記事ページ 発行: 2010年02月20日

岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007)の内容をまとめました。




1. 議論を始める/議論に参加するときの心構え

 1-a.「単に自分の意見を聞いてもらうことだけを目的にするなら、議論の場は適切ではありません。」(pp.105-106.)


2. 議論中に持つべき意識

 2-a. 知ることを欲する。例えば、自分の意見が間違っていることを知ることを欲する。

 2-b.「納得できる」回答を目標にする。

 2-c. 聴者・観客がいる場合には、彼らの利益になるように行為する。


3. 話すときの心構え

 3-a. 相手が話した内容を、自分が持つ「正しさの基準」と照らし合わせて、良い面と悪い面を話す。

 3-b. 躊躇せずに相手の意見に反論する、または相手と異なる意見を伝える。ただし、否定合戦にならないように配慮をする。


4. 聞くときの心構え

 4-a. 相手の意見を理解する。理解できなければ質問する。自分の意見と違っているように一見みえても、子細に検討すると両立する意見なのかもしれない。

 4-b. 自分の意見について、相手に、多様な良い面と悪い面(特に、悪い面)を話してもらうようにする。


以下、まとめ項目ごとの引用:

2-a.

p.55.

 知ることを欲していない人は、議論に参加してはいけないのです。

p.132.

「○○という説は間違っていた」ということだけが、我々が手にすることのできる唯一確かな結論なのです。


2-b.

p.114.

議論では、「分かる」というのは必ずしも「正しい」という意味ではなく、「納得できる」という意味なのです。

p.141.

 本当の真実でなければ意味がないと思うなら ... 議論に参加してはいけません。議論で言い合っている人々は、「我々は絶対の真実を知ることはできない」ということが分からずに言い合っているのではありません。


2-c.

pp.97-98.

[議論の形態(1) 討論]

討論は、自分のためだけにするものではなく、むしろ観客のためにするものです。意見は討論の相手に言うものではありません。観客を意識しない討論は無意味です。そして、それぞれの意見に優劣をつけることがもしあるとしても、それは討論の当事者ではなく、観客が決めることなのです。


3-a.

p.143.

 人の話を聞くということは、人が話した内容を自分自身が持つ「正しさの基準」と照らし合わせることです。

p.101.

議論の過程では、そこで出された意見を検討し、良い面と悪い面を明らかにするにとどめます。... 最終的な結論は、すべての意見が積みあがって議論が終了してから、総合的に考えます。


3-b.

p.93.

議論で得られるものは「違う視点」である

pp.93-94.

 議論は、皆が集まって同じ結論を出すことに意義があるのではありません。皆が集まって、それぞれが違う発言をすることに意義があるのです。...「結論が人それぞれなのだから議論は無意味だ」というのはまったく逆です。結論が人それぞれだからこそ議論する意味があるのです。

p.120.

 議論とは、「正しいことを得ようとする場」だと述べました。そして、正しいことを得るには、仮説を出し合い、それに対して反証を出し合うという手法が有効です。とするなら、議論の場とは、お互いに相手の仮説を否定するような証拠を出し合う場だということになります。極言すれば、議論とは人の説にケチをつける場なのです。

p.139.

相手の意見が否定されたところで、それが自分の意見の肯定に結びつくとは限りません。いったん否定合戦が始まると、すべての意見が否定されて、何も残らない焦土になってしまいます。


4-a.

p.25.

感情論を避けるための原則(5) 分からなければ聞いてみる

p.90.

議論とは「話を聞くこと」である

p.92.

 相手の発言を否定せず、理解しようとするところから議論は始まります。相手の発言が激しい口調で自分を攻撃しているように感じられたとしても、よくよく話を聞いてみれば、自分にとって非常にためになる情報や意見が含まれているかもしれません。相手の発言に反発してしまうと、それらを受け取れなくなってしまいます。

p.153.

何かを主張する時に、その前提が何かを明確に意識できていることはあまりありません。前提が曖昧なまま、一般論として述べられます。とすると、テーゼに対してアンチテーゼを作ることは、テーゼが持っている暗黙の前提をあぶり出す良い手段になります。テーゼとアンチテーゼのどちらか一方しか正しくないと考えるのではなく、どちらも正しいと考えられるのはどういう場合かを考えるのです。


4-b.

p.121.

「悔しかったら反論してみろ」ではなく、「お願いです。どうか反論してください」でなくてはなりません(...)。

p.194.

なぜ自分の質問に対して回答をしてもらえないのかというと、質問の内容が悪いからです。相手が答えたくなるような質問をすれば、わざわざ強制しようとしなくても自分から答えてくれるはずです。

 

「納得できない」議論の締め方

記事ページ 発行: 2010年03月20日

反証可能性がないなどの「納得できない」議論の締め方:

野崎 昭弘 : 詭弁論理学 (中公新書, 2007) p.116.

>あなたの考え方には、ついていけません
反論はこれで十分である。


岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) pp.44-45.

>ある説の真偽を言うには、「正しい」「間違っている」の他にもう一つ、「正しいとも間違っているとも言えない」という段階があることを意識してください。

インチキ理論の問題は、正しいとも間違っているとも言えないことを正しいと言い切ってしまうところにあります。だから、それを提唱する本人に対して何かを言うなら、「間違っている」ではなく「まだ足りないところがある」と言うべきです。後者の主張なら、彼らは喜んで受け入れてさらに研究を続けようとするでしょう。研究したい人は勝手にさせておけばおけばいいではありませんか。


※太字はブログ投稿者による。

 

反証可能性

記事ページ 発行: 2010年03月20日

岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.38.

> 反証可能性のない理論を前にすると、何も言えなくなってしまいます。こうなってしまうと、「どのような証拠を出せば信じてもらえるのか?」と相手に聞くしかありません。この問いに答えられないということは、その理論が間違っているかどうかを確かめることはできないということです。
 よい理論には、明確な反論ポイントがあります


岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.56.

>反証可能性とは、実際に反証が存在することを意味するのではありません。...
反証可能性とは、「仮にこういうことが言えたとしたら、その理論は間違いだと主張できますね」という確認です。


※太字はブログ投稿者による。

 

議論において「○○を知っているか?」というのは卑怯だ

記事ページ 発行: 2010年03月22日

2009/8/9放送のYTV「たかじんの そこまで言って委員会」における、三宅久之氏の発言の旨

議論において「○○を知っているか?」というのは卑怯だ。知っているならば、自分から話せ。



関連:
岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.120.

> 議論とは、「正しいことを得ようとする場」だと述べました。そして、正しいことを得るには、仮説を出し合い、それに対して反証を出し合うという手法が有効です。


岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.121.

>「悔しかったら反論してみろ」ではなく、「お願いです。どうか反論してください」でなくてはなりません(...)。


岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) pp.97-98.

>討論は、自分のためだけにするものではなく、むしろ観客のためにするものです。意見は討論の相手に言うものではありません。観客を意識しない討論は無意味です。



 

複数の手段を用意する

記事ページ 発行: 2010年03月06日

● 複数の手段を用意する

鎌池 和馬 : とある魔術の禁書目録 18 (電撃文庫, 2009) pp.35-36.

>「知っているか。魔剣フルンティングで知られるベーオウルフだが、人生の要となる戦では不思議なほど、その剣は活躍していない」

...

「ベーオウルフの名を知らしめた対グレンデル戦では己の腕力を、続く対水妖戦では敵のアジトにあった古い剣を、極めつけには人生最後の戦いとなる対悪竜戦では、やはり別の刃物を使用している」

...

「この話の教訓は一つ。己が命運を分かつ切り札は、常に複数用意しておけという事だ」


妹尾 堅一郎 : 技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由 (ダイヤモンド社, 2009) p.60.

>複数の関連ある手の打ち方を組合わせて、総合的に問題に対処することが可能となります。



● 複数の手段を用意することの難しさ

野崎 昭弘 : 詭弁論理学 (中公新書, 2007) p.110.

>ほかの戦術を攻撃するのに便利な論法は、ひとつは「それでは世の中を本質的によくすることにはならない」という批判である。これで、小さいながら実効のある戦術は、みな吹きとばされる。それでも残った戦術に対しては、もうひとつの論法
 「それは実行不可能である」
をあてはめればよい(「非現実的」「むしろ逆効果」「空想的」「小児病的」「自己満足にすぎない」「実を結ばない自涜行為」など、レッテルには事欠かない)。


岩田 宗之 : 議論のルールブック (新潮新書, 2007) p.139.

>相手の意見が否定されたところで、それが自分の意見の肯定に結びつくとは限りません。いったん否定合戦が始まると、すべての意見が否定されて、何も残らない焦土になってしまいます。



関連:
槍の数
http://star1ban.blog18.fc2.com/blog-entry-2904.html

 

↓下に表示している「関連書籍・記事」だけを新しいページに表示する:

|


© TAKAGI-1