狩勝実験線

狩勝実験線は、かつて国鉄(日本国有鉄道)が北海道に保有していた実験線です。

1963年の鶴見事故を受けて整備され、脱線実験などが行われました。1972年の北陸トンネル火災事故を受けて走行車両の燃焼実験が行われました。

高松 良晴 : 新幹線ネットワークはこうつくられた (交通新聞社, 2017〈底本は交通新聞社新書 (2017)〉) 位置No. 1971/3018.

[北陸トンネルの] 火災事故直後、国鉄は「鉄道火災対策技術委員会」を設け、1972年(昭和47年)12月の大船工場での定置車両の燃焼実験、1973年(昭和48年)8月の北海道狩勝実験線における走行車両の燃焼実験、そして、1974年(昭和49年)10月の宮古線(現在の三陸鉄道北リアス線)の猿峠トンネルでの、トンネル内走行中車両の燃焼実験などを重ねた。

高松 良晴 : 新幹線ネットワークはこうつくられた (交通新聞社, 2017〈底本は交通新聞社新書 (2017)〉) 位置No. 2625/3018.

鶴見事故(1963年)に対し、

しかし、国鉄は「競合脱線を理由にして、事故原因をあいまいにしておくことは良くない。どうしても脱線のメカニズムを解明する必要がある」と判断し、狩勝脱線実験線の設置を決断した。