今年の将棋代指しロボットは、双腕

「第2期電王戦」で使用される代指しロボット「電王手一二さん」(でんおうていちにさん)は、双腕。

将棋代指しロボット「電王手くん」がダブルアームに最終進化! 名前の由来はあの伝説の棋士? – ITmedia PC USER

さて、双腕といえば、テムザックのレスキュー用双腕ロボット「援竜」である。

2007年にモデルチェンジしていた:
災害・人命救助の未来を変える!! 新型レスキューロボット『T-53援竜』デビュー! (2007/ 7/17)

初出:
Facebook 2017/ 3/20

2017/3/20、3Dプリンタなどを利用できる「FABLAB高砂β」が兵庫県高砂市にオープン

山陽電車・高砂駅 南の「サンモール高砂」東館 2階 (兵庫県高砂市) に、3Dプリンタなどのデジタル工作機器を利用できる「FABLAB高砂β」が、2017年 3月20日、オープンします。

FABLAB高砂β

開店時間: 毎週水・土・日 13:00-18:00

山陽電車・高砂駅までは、
 姫路駅から、山陽電車「直通特急」で、15分
 明石駅から、山陽電車「直通特急」で、16分
 舞子公園駅(四国方面から明石海峡大橋北詰の高速バス「高速舞子」バス停乗り換え)から、山陽電車「直通特急」で、20分
です。

2017/ 3/ 6、兵庫県知事定例記者会見資料

リンク:
FABLAB in sunmall-takasago
fablab takasago プレオープン

Fab Takasa Go~雑多 – 感謝報恩 to Nature
いよいよプレオープン!! – 感謝報恩 to Nature

関連:
FabLab Japan Network

一般の人が生産(物質化)することによる社会の改革

一般の人が生産(物質化)することによる社会の改革

社会の改革のために から引用:

(1)
田中 浩也 : SFを実現する 3Dプリンタの想像力 (講談社, 2014〈底本 講談社現代新書(2014)〉) No.964/2694.

パーソナル・コンピュータを推進してきた研究者の多くは、「個が表現力と創造力を持つことで社会が改革される」ことを強く信じています。ネグロポンテもそのひとりです。

即ち、つながった個が表現力と創造力を持ち、それが臨界点を突破することで社会が改革される。

なお、前記引用にはつづきがある:

田中 浩也 : SFを実現する 3Dプリンタの想像力 (講談社, 2014〈底本 講談社現代新書(2014)〉) No.984/2694.

こうして、「先端技術で社会問題を解決する」という思想的背景をもった活動であっても、完成済みの「コンピュータ」をただ配るだけの支援では限界があることがはっきりしました。重要なのは、現場で、使用者自身が、その場やその人に合うようにテクノロジーを再編集できるための「施設(拠点)」だということがようやく分かったのです。

つまり、表現・創造(ソフトウェア)だけでは不十分であり、物質化(ファブリケーション)(ハードウェア)・表現・創造の有機的連携が必要である。

行動無き思考・思想は無意味だといわれる。物質化は、表現・創造が、思考・思想に留まらないためのひとつの行動として挙げられる。

(2)
田中 浩也 : SFを実現する 3Dプリンタの想像力 (講談社, 2014〈底本 講談社現代新書(2014)〉) No.156/2694.

素材を変えながら、繰り返し実験をしてみることで、自分自身の発想や想像力が強く刺激されることでした。「つくりながら、かんがえる」「かんがえながら、つくる」という同時性、即興性を実現してくれることで、ワープロや、シンセサイザーといった、人間の知的創造活動のパートナー的存在へと近づいているな、と感じられたのです。

即ち、人間の知的創造活動のパートナーを得る(ことで、社会の改革が促進される)。 ※括弧内は、ブログ記事著者により付記した。

このパートナーにより、知性が湧き上がるように自ら(みずから)により奮起されるのである。

一般の人が技術を持たねばならない から引用:

ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) p.398.

多田 道太郎による解説「『百科全書』について」より。

 なぜ百科全書派は技術を重視したのか。理由はかんたんである。それがブルジョアジーの利益になるからである。総じていえば「所有が市民をつくる」というブルジョア的立場が『百科全書』のほとんどを貫いており、したがってブルジョアの武器、道具としての技術が、新しく重視されることになったのである。

新しく世に出るものへの態度

新しく世に出るものに対する態度は、以下でありたい:

新しく世に出るものが、ごく少数のアイデアによるもの(ポッと出)でも、人の労力なく旧態のままから生み出されたもの(独りで)でもなく、多くの人の叡智と苦心と学術的・経済的・動員的・安全的・健康的基盤から、漸進的に生み出されてきたものであることを、顕らかに捉える態度

これは、下記の「ものづくり」の思想にも通じる。

ムスビと「ものづくり」

ムスビの物語を重視する精神によって引き起こされる製造者の行動様式が、「ものづくり」である。

なお、一番最初に書いた〈新しく世に出るものに対する態度〉は、知性主義を広めるメディアに書き、「しくみの発達博物館」が実現する主張である

世の中に当たり前のようにある良いもの(例えば、機械装置、政治制度など)が、それぞれ、偶然(ポッと出)でも、必然(独りで)でもなく、多くの人の叡智と苦心と学術的・経済的・動員的・安全的・健康的基盤から、漸進的に生み出されてきたものであることを顕らかに見せるものである。

を元に改良したものです。今回の改良を元の文に適用すると、以下になる:

世の中に当たり前のようにある良いもの(例えば、機械装置、政治制度など)や新しく世に出るものが、それぞれ、ごく少数のアイデアによるもの(ポッと出)でも、人の労力なく旧態のままから生み出されたもの(独りで)でもなく、多くの人の叡智と苦心と学術的・経済的・動員的・安全的・健康的基盤から、漸進的に生み出されてきたものであることを顕らかに見せるものである。

デジタル部 2016/11/28~11/30、ゲスト: スマートニュース メディアコミュニケーション担当ディレクター 松浦 茂樹 さん

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震災: 原発事故、科学と報道

東北の震災から、6年が経ちました。

当時の Tweet です:

原発事故報道への問題認識は、その後、科学コミュニケーションへの関心・取り組みにつながりました。

「科学と科学好きと社会を結ぶ」交通路“Intercity Science”開通

私は、2009年の事業仕分けにおけるスパコンに対する「2位じゃダメなんでしょうか」、2011年の震災での原発事故に関する報道(人体へのリスクは積算値で論じられるべきなのに、時間あたりの値で論じられた)に触れて、科学コミュニケーションの重要性を感じていました。

それが、今年2014年のSTAP細胞問題(科学から離れた話題の蔓延)により、いよいよ科学コミュニケーションの一助になる仕組みの作成が必要だと考えるようになりました。

さて、今となっては、積算線量(:マイクロSv単位)を、報道する第一の値にするのは、不適当であると考えています。

理由は、以下です:

・状況の回復・悪化を判別するためには、時間当たり線量(:マイクロSv/h単位) が直接的である (安心させる数値・放射線対策の効果が分かる数値は、時間当たり線量である)。

・積算線量は、モニタリングポストに常時いる人間の外部被曝量になる。人は放射線遮蔽物のなかに移動することができるし、その反面 内部被曝をする。積算線量は、個々の人の健康被害の度合いを代表しない。

デジタル部 2016/11/14~11/18、ゲスト: ユカイ工学(株) CEO 青木 俊介 さん

Crimson FM デジタル部 2016/11/14~11/18:

ユカイ工学株式会社 CEO 青木 俊介 さん:

ユカイ工学
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BOCCO: The family robot that brings your loved ones closer by Yukai Engineering Kickstarter

#デジタル部 since:2016-11-14 until:2016-11-20 – Twitter検索

有害物質に対して、社会はどうあるべきか

東日本大震災において、福島第1原発から流出した放射性物質による放射線は、科学と社会の関係をこじらせた。

1990年代のダイオキシン問題、そして昨今の豊洲の地下水問題も同じである。

すなわち、時代に関わらず、科学と社会の関係をこじらせる 一大テーマがある:

有害物質の問題だ。*

有害物質に関しては、以下の3項目をきっちり認識しておくべきである。

・あらゆる物質が、有害度合いの差こそあれ、害がある。

・自然物でも人工物でも、成分が同じであれば、その有害度合いは変わらない。

・(有害物質を体に取り込んだ量の蓄積) マイナス (害の解消量) により、被害の程度が決まる。

この認識を、社会が共有していなければならない。一方で、社会は安心を要求する。この両者を相立たせるために機能するのは政府や企業ではなく、各個人である。「私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならない」(皇后陛下 (美智子 様)。1998年、国際児童図書評議会、第26回世界大会での基調講演での御言葉。岸田 一隆 : 科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく (平凡社新書, 2011) p.153.) のである。

そのためには、初等教育で教え込むべきである。

よい機会になるのが、理科の化学実験実習である。化学実験実習の前に、時間を用意して教えるべきである。

実験において扱う試液類は有害であることを理解させた上で、その安全な扱い方を学ばせるのだ。児童は、実験実習においてふざけることが、悪であると自覚するだろう。

これは、実験室内にとどまらず、未知の物質・脅威・問題に直面したあらゆるときに落ち着いた対応行動をとるための躾になるかもしれない。化学実験実習の際には、そのような応用を、児童に動機づけるべきである。

* より一般的に表現すれば、リスクの問題である(ここまで一般化すれば、科学分野だけの問題ではない)。

初出:
Facebook 2017/ 3/11