梅雨前線の北、およそ200km圏が雨の範囲

石原 良純 : 石原良純のこんなに楽しい気象予報士 (小学館文庫, 2001) p.202.

[梅雨]前線の北、およそ二〇〇キロ圏が雨の範囲といわれている。

ここで 200km とは、どのような距離かというと、

・緯度 2度 (= 約 220 km )

・高知 (:室戸岬と足摺岬の間の弓なりの四国太平洋岸の最も奥まったところ)から、真っ直ぐ北に、鳥取県の日本海岸まで (= 約 220 km )

・和歌山県潮岬から、真っ直ぐ北に、若狭湾まで (= 約 240 km )

気象学と鎌倉仏教

気象学(気候学を除く)の特徴は、その成果が固定されず、大衆の個々逐次の行動によって生まれることである。

気象学の知見を信じる大衆の個人個人が逐次、自ら行動する、あるいは自ら行動を抑制することによって、不利益をもたらす気象をやり過ごすことができる。しかし、気象学は、不利益な気象そのものを無くしたり、無効化することはできない。

たとえば、気象学によって、午後から雨が降ると予め分かり、子供との遊園地行きを取りやめることができる。この時、雨に濡れることによる損害は防げるが、子供は満たされない。百年後の子供も、おそらく同様の満たされない体験をするだろう。

雨でも影響が全くない屋内遊園地をつくるならば、百年後の子供は、同様の満たされない体験をすることはないだろう。屋内遊園地という成果は、気象学の成果ではない。

気象学は、気候学の下位につくことにより、成果を固定できる。

気候学は、その成果が固定される。たとえば、将来の気候を一定範囲に収めるために、化石エネルギーの使用量を数字で表わした社会設計という形で、成果は固定される。

気象学は、気候学のパラメタリゼーションの高度化手法、あるいは、サブシステムとして働き、気候学の固定される成果への貢献を成果とすることができる。

一方で、固定されない、大衆の個々逐次の行動によって生まれる成果の存在を、大いに価値あるものとして考えることもできる。

これは、貴族が大衆を救うのではない、大衆自らが救いをもとめる鎌倉仏教のような学術である。

鎌倉仏教型の学術も、人類の力になる。そして、人類の「知の力」のうち、「鎌倉仏教」の強化が今日、疎かになっていると、私は考える。

安定なシステムが、特定状況において不安定になる

平常時は安定な制御機能をもつが、ある特定状況では不安定になるシステムがある。

たとえば、
・平常時、他国より好況だと円高、他国より不況だと円安
・災害時、(不況状態にあるのに) 円高

Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: 保険金支払い、復旧資金調達のために円需要が高まり、円高。 2011/3/17 10:29pm