科学以前と以後にまたがる物語

世界の奇書をゆっくり解説 番外編 「天体の回転について」

11:33~

ティコ・ブラーエ 1546~1601年 (正確・膨大な天体観測)
ヨハネス・ケプラー 1571~1630年 (ティコの観測データ → 楕円軌道)

ニコラウス・コペルニクス 1473~1543年 (地動説)
ガリレオ・ガリレイ 1564~1642年 (望遠鏡を使った観測。地動説の一般流布)

アイザック・ニュートン 1642~1727年 (万有引力の法則 * → 楕円軌道)

  * 人の世(リンゴの落下)も神の世(天体の運行)も同種の力で動く

エドモンド・ハレー 1656~1742年 (ニュートン理論の流布)

関連:
水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.130.

コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンという、近代科学が辿ったもっとも重要な道のりは、ポーランド、イタリア、ドイツ、イギリスと、ヨーロッパ全土を大きく忙しく駆けめぐる道のりだったのである。そして、かれらはみなラテン語で書いた。十七世紀後半に活躍したニュートンでさえラテン語で書いたのである。のみならず、ガリレオの『新科学対話』がイタリアで禁じられたとき、それはオランダで出版された。〈学問の言葉〉のラテン語が〈普遍語〉であることによって、学問はやすやすと俗世界の権力をも越えられたのである。

「科学と科学好きと社会を結ぶ」交通路“Intercity Science”開通

2014年 5月17日、「科学と科学好きと社会を結ぶ」交通路として、新しいサイト“Intercity Science”(インターシティー・サイエンス)を〈開通〉しました。

  Intercity Science —科学と、科学好きと、社会を結ぶ

私は、2009年の事業仕分けにおけるスパコンに対する「2位じゃダメなんでしょうか」、2011年の震災での原発事故に関する報道(人体へのリスクは積算値で論じられるべきなのに、時間あたりの値で論じられた)に触れて、科学コミュニケーションの重要性を感じていました。
それが、今年2014年のSTAP細胞問題(科学から離れた話題の蔓延)により、いよいよ科学コミュニケーションの一助になる仕組みの作成が必要だと考えるようになりました。

そこで、構築したのが、サイト“Intercity Science”です。

詳細は、About | Intercity Science に記しておりますが、“Intercity Science”は、単なる科学ニュースサイトへのリンク集ではなく、閲覧者様に科学の話題をSNSを通して、彼ら/彼女らの知人と共有するようお奨めしています。また、科学コミュニケーションに関するサイトへのリンクを、科学サイトへのリンクとフラットに(=行き来に面倒なく)掲げることにより、科学コミュニケーションに関する知識や新しい動きに、閲覧者様が接し、便利に入手していただけるようにしています。

また、科学コミュニケーションに関して、岸田 一隆氏の『科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社新書, 2011)を拝読させていただきました。同書に、共有・共感が大事であること、科学の話題ではなく科学の考え方を伝えること、が書かれてありました。また、人間は、その性質として、世界を心を持った擬人的な存在として解釈する方が容易である、という記述がありましたので、科学の考え方を擬人化(科学ちゃん)して表現した文章を附しました。これは曲解の感を拭えないひとつの試みでありますが、今後も、科学コミュニケーションに関する研究の成果を取り込み、様々に試みて実装していきます。

初出: 2014/ 5/17 20:41

科学ちゃん

〈科学の方法〉に注目して、科学を擬人化した:

科学ちゃんは、
まだまだ子供だけれど、巨人の子供なので、肩の上に人を載せられます。

食べ物は、「反証に晒される」ものしか食べません。

「誤り」な食べ物は、既に食べていても、吐き出します。

お友達の文学ちゃんは、文豪が亡くなるたびに飲んだミルクを吐き出してしまうので、赤ちゃんから成長できていません。

補足:
岸田 一隆 : 科学コミュニケーション――理科の〈考え方〉をひらく (平凡社新書, 2011) p.162.

人間は社会的な生き物であり、人間の脳は人間の心とコミュニケートするようにできています。だから人間は、世界を物理的に解釈するよりも、心を持った擬人的な存在として解釈する方が容易なのです。

参考文献の軽視とは

参考文献そのもの及びその明示の軽視とは、

 歴史の軽視であり(自らを歴史のなかに位置付けない。即ち、継続性の軽視)、

 正統性の軽視
   (1. 権威の軽視。権力に略直交な概念である権威の軽視。
   2. 保守の軽視=革新“性”の軽視であり、また、試行錯誤の際に戻ってこられる場所の軽視)

である。

初出:

Facebook投稿 2014/ 3/31

「ロウソクの科学」と、政府及び大衆

ファラデー「ロウソクの科学」は、

学者に地位を与えるのは政府であり、尊敬をはらうのは大衆である

   ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) p.133. ダランベールによる「序論」より。

を示唆する。ファラデーは、英国の王立研究所において、一般向けに講演を行った。

知の「化学反応」と淘汰

法則とは、文脈から切り離しても正でありつづける文なのだな、ふと思う。

そして、それは、文脈ごとに、知の「化学反応」を引き起こす。法則は、知の「化学反応」を引き起こす性質が強い。

しかし、知の「化学反応」に、法則は必須ではなく、法則が認識されていなくても引き起こされる。

学術とは、
 ・知の「化学反応」
と、
 ・淘汰
の両者を基盤活動とする場の態様である。

それは、コンピュータ将棋のようなものだ。そして、コンピュータ将棋と同様、開発者以上の知的成果を将棋ソフトは生産する。

科学が価値をもつとき

以下の場合に、科学は製品において価値をもつ。

● 科学による最適化を実施する:
 ・ 仕様が厳しい。
   例えば、固定設置される機械は芋設計(無駄が多い設計)でも成り立つが、自走する機械では重量が大きくなりすぎて成立しない。

 ・ 戦争中である。

 ・ 市場の競争に晒される。

● 科学による予測や予測に基づく制御を実施する:
 ・製品が、その使用において、人間の手に負えないほど 巨大・微小・強力・複雑・高速 である。

 ・製品の製造・使用に、人の手をかけられない。

● 科学と論理によって、他者を説得する:
 ・製品を製造・使用に、多数の人的資源を使う必要がある。

哲学と現実、科学と技術

類型がみられる。

弁証法 – Wikipedia [2011年7月8日 (金) 20:39 の版]

「ミネルヴァの梟(ふくろう)」の例えで有名な、『法の哲学』の序文でも端的に述べられているように、ヘーゲルに言わせれば、哲学は、常に現実を後追いしているに過ぎない。現実の歴史がその形成過程を終えてから、ようやくそれを反映するように観念的な知的王国としての哲学が築かれる(「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」)のであって、「哲学の到来はいつも遅すぎる」し、決して「あるべき世界」を教えてくれるようなものでもない。

ヘンリー・ペトロスキー=著, 中島 秀人・綾野 博之=訳 : 橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学 (朝日選書, 2001) p.110.

 数学者や科学者達が必ずしも思い出したがらない事実だが、技術の相当数はまず成功した後にその理論的理解が生まれたのである。もちろん古典的な例は蒸気機関であり、熱力学の工学が成立するはるか以前にそれは発明され、高度の信頼性にまで発展した。実際、動く蒸気機関という人工物自体が、その動作についての理論を呼び起こしたのである。

ミクロ現象のマクロにおける表出に関するシミュレーターの開発手順

ミクロ現象の小スケールにおけるシミュレーターの開発する。

小スケールにおけるシミュレーションの結果を整理して、ミクロ現象のマクロにおける表出を表す、大スケールシミュレーターにおけるパラメタリゼーションを考案する

上記パラメタリゼーションを実装した大スケールシミュレーターを開発する。